naokichiオムニバス

67歳会社員。ヴィオラ弾き。ビール大好き。毎日元気。

日生劇場「魔笛」

16日(土)、日生劇場に「魔笛」を観に行って来た。

9月に宇奈月温泉での「湯の街ふれあい音楽祭 モーツァルト宇奈月」において、「魔笛」を演奏するので、その予習のためだ。

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入場しようとしたら、呼び止められた。いつも一緒に演奏している、ヴァイオリンのMちゃん、Cさん、Mちゃんのお母さん。

Mちゃん、Cさんとは、宇奈月でも一緒に演奏することになっているが、彼女たちも予習で来たのだそうだ。

えらいねえ、僕たち、と話した。

16日、17日(日)と2日間行われる今回の公演は、ダブルキャストだ。

指揮は沼尻竜典氏、オケは新日本フィル

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合唱団の名前にあれっ?

私の場合、「ヴィレッジ・シンガーズ」と言えば、グループサウンズの貴公子と呼ばれた、こちらです。

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13:00開場、13:30開演。

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私の席は、グランドサークル階のB列49番。普段、オペラは新国立劇場で観ることが多いが、こういう小ぶりの劇場もいいな。

ステージの前面、緞帳の前に小さなグランドピアノが置かれている。

序曲が始まると、3人の童子が現れて、このピアノのまわりで無言のお芝居を始めた。1人はピアノを弾きながら羽ペンで楽譜を書いている様子。タミーノとパミーナを示すらしき紙の人形も出てきたが、序曲の終わりと共に、すべて舞台袖に消えた。

緞帳が上がると、童子と同じように机に向かって苦しそうに羽ペンを走らせているのがタミーノ。そして、大蛇ではなく、それを周囲から責め立てるようにしている集団。

その集団を、3人の侍女が出てきてスプレー缶のようなものを噴射して撃退する。

どうやら古典的な演出ではないようだ。

パパゲーノが登場して、タミーノと芝居を始めるが、これは日本語。歌は原語で進行した。

芝居は時に関西弁も混じるコミカルな演出。

また、衣装も現代風で、合唱の男女はいずれもグレーのスーツ姿。ザラストロまわりのモノスタトス一派は、清掃会社の職員といういでたちだったりした。

パパゲーノは、遠目に見ていて、大泉洋が演じているように思えて仕方がなかった。アフロ風の髪型だったこともあるが、思ってみれば、このパパゲーノという役柄は、大泉さんにぴったりでもある。

(その他、モノスタトスがロバートの秋山に見えたり、パミーナが吉岡里帆に見えたり、パパゲーナがベッキーに見えたりしたが、これは個人の感想、イメージです)

1幕終了時のカーテンコールはなく、休憩に入った。

そして2幕。

つくづく思ったが、「魔笛」というオペラは、本当に珠玉の音楽が詰まっているね。

この世のものとも思われない、天国的な音楽が次々に出てくる至福。

それに比べると、お話、ストーリーはちょっと、という感じがある。

物語としては、「ドン・ジョヴァンニ」や「フィガロの結婚」などの方が、ずっとよくできていると思う。

途中で善悪が転換することの不自然はよく指摘されるが、確かにわかりにくい。タミーノやパパゲーノをしばしば救う笛や鈴は、そもそも邪悪な(ということに途中でなる)夜の女王が持たせたものだし。

あと、男尊女卑的な女性観も抵抗があるな。

でも、筋書きなんかどうでもいい、と思わせるほど、ここでのモーツァルトの音楽は格別なものだ。

パパゲーノとパパゲーナが結ばれる、「パ・パ・パ」の二重唱なんか、くだらないと言えばくだらないシチュエーションであり音楽でもあるが、どうしてこんなに泣けてしまうんだろう。奇跡の音楽だ。

モーツァルトはこのオペラを書いた年に死んでしまったが、もっと長生きしていたら、どんなオペラをまだ書いてくれたんだろう。

全曲の幕切れ、喜びに沸くフィナーレの明るい音楽の中、雷に打たれて倒れた夜の女王のもとに、ザラストロが近づいてひざまずく。最後に、夜の女王が目を開けて顔を上げる動作があって、全曲が終わる。

この演出の意味するものは何だったのか。善悪を分けて勧善懲悪の話として終わることを避けたということだろうか。あるいは、ザラストロと夜の女王は元夫婦で、パミーナの両親だという説があるのだそうだが、そういう意味も含むのだろうか。

カーテンコールには、合唱指揮の田中信昭さんも出てきた。中学、高校の頃、東京混声合唱団の演奏会を指揮されるのを、何度も聴いたものだ。もうかなりのご高齢だと思うが、お元気そうで何よりに思った。

9月の宇奈月に向けて予習になったと同時に、このオペラの比類のなさを改めて実感できた。

10月には、新国立劇場で新しいプロダクションの「魔笛」が上演される。宇奈月を終えて復習、ということになるタイミングだが、この公演にも是非とも行ってみたいと思う。