naokichiオムニバス

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24年ぶり、大学ゼミの同窓会

今日25日(木)は、竹橋の如水会館で、大学のゼミナールの同窓会が行われた。

平日の11:30スタートの設定なので、休暇を取って参加した。

受付で、総会次第と出席者名簿、そして校歌の歌詞が書かれたパンフレットを受け取る。

立食形式の場内は、卒業年次に従ってテーブルが分かれており、私のテーブルは、昭和53年(1978年)卒から1981年(1981年)卒までの4期のOBで占められた。

私は、昭和49年(1974年)入学、昭和53年(1978年)卒業。

後期、3年生になるとゼミナールに属して勉強することが必須となる。私が選んだのは、経済学史をテーマとするM先生のゼミだった。

今日は、そのM先生のゼミのゼミテンが集まっての同窓会。席上の話では、ゼミテンは延べ約430人。大学同窓会の名簿を基に約300人に案内を発し、この席には約100人が出席したとのこと。

配られた出席者名簿によると、一番上の世代は、昭和45年(1970年)卒業、一番若い世代は、平成13年(2001年)卒業と、約30年にわたるゼミテンが揃った。

ゼミの同窓会は、卒業後、何度か行われ、出席した記憶があるが、近年はまったく途絶えていた。案内状によると、24年ぶりとのこと。1994年以来だ。この時は出席したんだったか、記憶が定かでない。

今回は、昨2017年春の叙勲で、M先生が瑞宝中綬章を受章されたことのお祝いも兼ねて企画された。

テレビ朝日のアナウンサー、O氏の司会で会は進行した。同窓であることも、同じゼミであることも知らなかった。私より9年後の卒業とのことだ。

M先生が入場。奥様とお嬢さまもご一緒だ。本当に久しぶりにお目にかかるが、今年81歳になられた先生は、お元気そうだった。

ゼミ同窓会の会長挨拶。

その後、M先生からのスピーチ。

乾杯、歓談となった。現在の学長からの祝電も紹介された。

今回、同期からは3人が出席した。F君とI君と私である。3人であれこれ話した(ゼミでは、上下の学年とは交流がなかったので、同じテーブルにいる人たちとは面識がない)。

F君とは、入学した時、小平の下宿で一緒に住んでいた。2年後に同じゼミになったのは偶然である。卒業後はメーカーに就職され、名刺交換したが、今はグループ会社の常勤監査役とのこと。

I君は、卒業後、銀行に就職されたが、現在は長野県で市長の職にある。

テーブルごとに、順番にM先生、ご家族と記念撮影。

記念撮影が終わった後は、久しぶりにお話をすべく、先生のテーブルに、次々にゼミテンが群がった。我々同期3人も順番待ちをして、先生に名刺をお渡しし、話をすることができた。

私は、4年生秋の就職活動がうまくいかず苦心した時に、相談に乗っていただいたこと、また、出来の悪い卒論(ガルブレイスについて書いた)に目をつぶって、黙って卒業させて下さったことの感謝をお伝えした。

時間がなく話せなかったが、他にも、ゼミ旅行(ロマンスカーに乗って行ったな)や、国立のスナックみたいなところでのカラオケ(当時はまだカラオケというもの自体が珍しかった)など、M先生との思い出は多い。

その後、ゼミテン代表3人がスピーチ。

1人目は、海外在住者ということで、ニュージーランドから参加されたゼミテン。今はワイン用の葡萄の農場をやられているとのことで、ワインが先生にプレゼントされた。

2人目は、地方在住者代表で、我が同期のI君。

そして3人目は、女性代表で、このゼミで一番最初の女性ゼミテン、Fさん。経済学部の同期には、女性は3人しかおらず、同期に浜矩子氏がいたそうだ。

M先生に花束、奥様にお菓子が贈呈された後、最後に校歌斉唱。応援部OBの同期のF君が主導した。

パンフレットに書かれている歌詞を見ながら歌った。この歌を歌うのは、一体何十年ぶりだろうか。この歳になって歌うと、結構音域が高くて厳しい。

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斉唱の後は、F君によるM先生へのエールも。

最後の締めは、現在、成蹊大学の学長を務めておられるK氏。

この会を、また来年も開きたい、との話の後、一本締め。

M先生、ご家族を拍手でお送りし、13時半頃お開きとなった。

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久しぶりに恩師と会えて、嬉しい同窓会だった。

また次の機会を楽しみにしたい。

今日、カメラ担当のゼミテンが撮影してくれた写真は、近日中にネット上で共有されるとのこと。これも楽しみだ。