naokichiオムニバス

68歳、ヴィオラ弾き。ビール大好き。毎日元気。

上田知華+KARYOBINの全アルバムを改めて聴いて

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20日(土)に、日本橋三井ホールで、上田知華の40周年記念コンサートを聴いた。

忘れ難い演奏会だった。

これに先立って購入していた、CDボックス、「All About KARYOBIN」を、先週から今週にかけて通勤時に一気に聴いた。

このボックスは、上田知華+KARYOBINとしてのオリジナルアルバム6枚に、ボーナスディスクとして、1978年11月のライブ音源がついた7枚組である。

20代半ば過ぎの頃、熱心に聴いた、上田知華+KARYOBINのアルバムを久しぶりに聴き直してみて、改めて思ったのは、6枚のオリジナルアルバムに、まったく凹凸がないことだ。

私の場合、最も好きなアーティストであるオフコースや小田(和正)さんのアルバムでさえ、好みあるいは評価の面で、ある程度の落差が存在する。例えば、5人時代のオフコースだと、「We are」を最高傑作とする一方、その次のオリジナルアルバムである「over」は、少し落ちると感じている。

ところが、上田知華+KARYOBINのアルバムには、そうした落差をほとんど見いだせない。これには、改めて驚いた。

初期の2枚が未成熟ということはない。これは、もとより完成されていた「樋口康雄の音楽」が中心にあるからだと言えると思う。それを体現する編成として、このユニットが組成された面もあるだろう。

3枚目以降はがらりと変わり、上田知華その人の作品が中心を占めるようになる。5枚目の「Miss Heart」に至っては、全曲が上田知華の作詞・作曲・編曲である。

そうした6枚のすべてが、いずれが兄(姉?)たりがたく、弟(妹?)たりがたい。どれも今聴いても本当にすばらしいアルバムだ。

従って、これからこのユニットを知りたい、という人に、「まずどれか1枚、お薦めを教えてほしい」と言われても、困ってしまう。

(どうしても、と言われれば、自分自身の「出会い方」からして、3枚目か4枚目のどちらかになるが、1枚を選ぶ(落とす)のは、やはり困難だ)

今回、凹凸のなさの他、もう一つ考えさせられたことは、このユニットの終わり方(解散)についてである。

1枚目からずっと、純粋なピアノ五重奏の編成で通してきたこのユニットは、最後のオリジナルアルバムである、6枚目の「SONG」で、打楽器や管楽器を加える。

フィーチャーの仕方は、基本的に控えめなものだが、それまでの編成にはない、大きな効果を生んでいる。

このアルバムの最終曲、「スー・ソワール」を聴いていると、樋口康雄の手の中から羽ばたいた上田知華という人が、ここまできたか、という気がする。そう、まさに彼女の到達点だと感じる。

この後の活動、アルバムリリースがなく解散したのは、きっとそこに一つの見極めがあったからではないか。あくまで推測だが。

始めたばかりの、別の楽器を加えての音楽を、さらに追究する道もあったのだろうが、そちらへ行ってはいけない、味つけをするにしても、この程度がちょうどいい、というような見極めがあったのではないだろうか。

限界を感じた、という感覚でなく、ちょうど良い加減に到達できた、というような。

そのことで、このユニットは、納得してクローズすることになったのではないか。あくまで推測だが。

今回の、6枚一気の鑑賞で、そんなことを思ったのだった。