忘れ難い演奏会だった。
これに先立って購入していた、CDボックス、「All About KARYOBIN」を、先週から今週にかけて通勤時に一気に聴いた。
このボックスは、上田知華+KARYOBINとしてのオリジナルアルバム6枚に、ボーナスディスクとして、1978年11月のライブ音源がついた7枚組である。
20代半ば過ぎの頃、熱心に聴いた、上田知華+KARYOBINのアルバムを久しぶりに聴き直してみて、改めて思ったのは、6枚のオリジナルアルバムに、まったく凹凸がないことだ。
私の場合、最も好きなアーティストであるオフコースや小田(和正)さんのアルバムでさえ、好みあるいは評価の面で、ある程度の落差が存在する。例えば、5人時代のオフコースだと、「We are」を最高傑作とする一方、その次のオリジナルアルバムである「over」は、少し落ちると感じている。
ところが、上田知華+KARYOBINのアルバムには、そうした落差をほとんど見いだせない。これには、改めて驚いた。
初期の2枚が未成熟ということはない。これは、もとより完成されていた「樋口康雄の音楽」が中心にあるからだと言えると思う。それを体現する編成として、このユニットが組成された面もあるだろう。
そうした6枚のすべてが、いずれが兄(姉?)たりがたく、弟(妹?)たりがたい。どれも今聴いても本当にすばらしいアルバムだ。
従って、これからこのユニットを知りたい、という人に、「まずどれか1枚、お薦めを教えてほしい」と言われても、困ってしまう。
(どうしても、と言われれば、自分自身の「出会い方」からして、3枚目か4枚目のどちらかになるが、1枚を選ぶ(落とす)のは、やはり困難だ)
今回、凹凸のなさの他、もう一つ考えさせられたことは、このユニットの終わり方(解散)についてである。
1枚目からずっと、純粋なピアノ五重奏の編成で通してきたこのユニットは、最後のオリジナルアルバムである、6枚目の「SONG」で、打楽器や管楽器を加える。
フィーチャーの仕方は、基本的に控えめなものだが、それまでの編成にはない、大きな効果を生んでいる。
この後の活動、アルバムリリースがなく解散したのは、きっとそこに一つの見極めがあったからではないか。あくまで推測だが。
始めたばかりの、別の楽器を加えての音楽を、さらに追究する道もあったのだろうが、そちらへ行ってはいけない、味つけをするにしても、この程度がちょうどいい、というような見極めがあったのではないだろうか。
限界を感じた、という感覚でなく、ちょうど良い加減に到達できた、というような。
そのことで、このユニットは、納得してクローズすることになったのではないか。あくまで推測だが。
今回の、6枚一気の鑑賞で、そんなことを思ったのだった。