12月30日(日)から、2泊で宇奈月温泉に出かけた。
今回は、妻の母も連れて、宇奈月での年越しである。
12月29日(土)は、高齢の母の移動負担軽減のため、東京に前泊とした。
当日、私は、午後、木更津に行った。実家に寄ってから菩提寺に挨拶に行き、急ぎ千葉に戻った。
一旦帰宅後、すぐ旅行荷物を持って出かけ、京葉線で東京へ。先着していた妻と妻の母と京橋のホテルで合流した。
開けて、東京を出発する30日、私は、22日(土)に急逝した会社の入社同期のAの葬儀に参列するため、ホテルから杉並の斎場に向かった。
10:00からの葬儀には、同じ同期のYとWも参列した。
新幹線の出発に間に合わなくなるため、一人中座して東京駅に向かったが、この時は、その後、遭遇する事態を想像もしなかった。
西武新宿線、JRを乗り継いで、11時半頃、順調に東京駅に着いたが、構内に流れるアナウンスで、北方面に向かう新幹線の運行が乱れていることを知った。
乗車予定の新幹線は、12:24発のはくたか563号。
改札の駅員に聞くと、30分程度遅れているが、運行が早まることもあるので、定刻には来ていてもらいたい、との話だった。
改札を出て、妻と妻の母と合流。聞いた情報を話す。
駅員に言われた通り、定刻にはホームに行くことにして、とりあえず、八重洲地下街に下り、車中で食べる弁当などを買った。
そして、地下の八重洲中央改札から駅に入ったのだが、この間、事態は悪化していた。
アナウンスで聞くところでは、運行遅延は1時間ほどとなっている。
新幹線の改札は、大変な混雑ぶりで、そもそも改札をくぐってホームに行くこと自体が大変そうだ。
何しろ1時間以上は待たなければならない様子なので、何はともあれ母をどこかに座らせることにした。
中央通路に白い椅子が並べられている場所があることは知っていたので、行ってみる。あらかたふさがっている中、荷物が置いてある椅子があったので、座っている人に聞いてみると、自分の荷物で、空けてくれたので、幸いそこに母を座らせることができた。
新幹線改札を偵察してくることにする。まず、北側の改札に行くが、自動改札の前には立錐の余地もないくらい、人がびっしりと立っている。また、そこまで行く通路も、多くの人でごったがえしており、それをすり抜けて歩くことも容易ではない。
長年東京駅を利用してきて、ラッシュ時の在来線の混雑は知っているが、それに匹敵する状態の新幹線乗り場は、初めて経験した。
荷物を持ち、高齢の母を連れて、改札まで到達することがそもそもできるのか。到達できても、人でびっしり埋まった中、改札をくぐってホームまで上がることは、絶望的にさえ思われた。
今度は、南側の改札に行ってみる。似た状況ながら、こちらの方がまだましだった。また、母を座らせている場所からも、近い。
改札では、駅員がメガホンでどなっている。12時台の指定券を持っている人は、改札から出て、離れてくれ、と言っている。今は、それより前の電車に乗る人だけ改札を通しているようだ。
我々も12時台の指定券なので、当分無理なようだ。
一旦、妻と母のところに戻り、状況を説明。以後、妻と交代で、南側改札のところに様子を見に行くことを繰り返した。
再度駅員に聞くと、改札内の表示板に表示された電車の人を入れているということだった。
それを待つことにする。
やがて、メガホンのアナウンスも、13時台の指定券を持っている人は出てくれ、に変わり、我々はそろそろ入るのを許されるゾーンに入ってきたことがわかった。
13時頃、やっと12:24のはくたか563号が表示されたので、意を決して改札を入ることにする。
キャリーバッグ始め、少なくはない荷物を持ち、母をかばうようにしながら、人混みをゆっくりくぐり抜け、改札に向かう。途中階段が少しあったものの、距離が短かったのは幸いだった。
改札を何とかくぐり、エスカレーターで乗車する21番線に上がる。
やれやれ、というところだが、21番線には、我々が乗る電車ではなく、その一つ前のやまびこがいて、車内清掃中。
やや早く来過ぎたか。待合室も母を座らせる余地がなさそうで、立ったまま、しばらく待つことになってしまった。
やがて、そのやまびこが発車し、我々のはくたかが入線。もどかしい思いで待った車内清掃も終わって、やっとのことで乗車することができた。
定刻より77分遅れて、13:41、発車。
いやー、大変だった。
本当にやっとのことで、買ってきておいた弁当を開き、缶ビールを開けることができた。
いつもなら、弁当の写真を撮るところだが、その余裕もなかった。
発車後しばらくしての車内アナウンスでは、黒部宇奈月温泉着は、15:48の見込みとのこと。64分遅れだ。
駅にはホテルから迎えのバスが来ることになっていたので、この間、電話とメールで連絡を取り、到着が遅延する旨は伝えておいた。