naokichiオムニバス

68歳、ヴィオラ弾き。ビール大好き。毎日元気。

プラハ国立劇場オペラ フィガロの結婚

昨5日(土)、2019年の演奏会通いのスタートとして、プラハ国立劇場オペラの「フィガロの結婚」に行ってきた。

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プラハ国立劇場は、別名スタヴォフスケー劇場と言い、プラハにある3つのオペラ劇場の一つで、「ドン・ジョヴァンニ」はここで初演されたそうだ。

カール・ベームが、フィッシャー=ディースカウをタイトルロールに「ドン・ジョヴァンニ」を録音した、プラハ国立歌劇場は、別の劇場のようだ。

今回の「フィガロ」は、3日(木)のフェスティバルホールを皮切りに、20日(日)のよこすか芸術劇場まで、全国各地、13箇所で14公演が行われる、大規模なツアーだ。

プログラム冊子を見ると、指揮者が2人来ている他、ほとんどの役がダブルキャスト、あるいはトリプルキャストとなっている。

この日の演奏メンバーは、こちら。

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新国立劇場がある中、東京文化会館でオペラを観るのは、いつ以来だろう。

14:30開場、15:00開演。14時半過ぎに会場に到着したが、尋常でない長蛇の列。最後尾はホール右手の外とのことで、そこに並ぶ。中に入ると、ロビーにうねうねと列ができており、入場するまで10分以上かかった。会場スタッフの誘導、さばきもあまりよくないと感じた。

クロークに荷物を預け、席に着くと、もう開演10分前となっていた。

私の席は、2階L1列19番。一つだけ離れた形の席で、気楽だった。

2017年9月に、「湯の街ふれあい音楽祭 モーツァルト宇奈月」で、この「フィガロの結婚」を抜粋演奏した。

昨年の「魔笛」と違って、前後の時期に実演に接する機会が持てなかったのだが、やっとその機会が訪れた。復習と言うには遅いが。

演奏を聴きながら、1年余り前、自分で演奏した時のことを思い出した。オペラに限らないが、自分で演奏した経験があると、実演を聴く時の味わい方が大きく違う。

今回の舞台の設定は、時代を変えたり、何かの翻案をしたりということはなく、オーソドックスなもの。装置は比較的簡素なものだった。全国各地のホールで上演することを想定してのものだろう。

4幕構成のオペラだが、今回は、2幕と3幕の間だけに20分の休憩が置かれる形だった。2幕終了時のカーテンコールはなかった。

1幕と2幕、3幕と4幕の間では、下がった緞帳の前で、それまで歌っていた歌手とは別の人が数人出てきて、短い芝居をした。舞台転換の時間稼ぎのためだろうが、芝居自体の意味はよくわからなかった。

演奏経験を通じて、自分なりに慣れ親しむことができているこのオペラ全幕を、楽しむことができた。

やはり、このオペラは、まず話としてよくできていると思う。1幕のケルビーノの椅子のくだりとか、2幕のケルビーノの女装着替えからの一連のドタバタとか。

そこにつけられたモーツァルトの音楽も、まさに練達のもの、名曲揃いだ。

その点では、ストーリーに首をかしげる部分がある一方、音楽の方は有無を言わさぬものがある「魔笛」に比べると、バランスが良いと思う。

前記の場面を始めとするあれこれのドタバタ劇に、この日の客席は反応がよく、しばしば笑い声が上がった。

ふと、かつてテレビで観ていた、ザ・ドリフターズの「8時だヨ!全員集合」での、舞台上で繰り広げられるドタバタコントを思い出した。

モーツァルトの時代、オペラには、お笑い番組的な要素もあったのだろうか。

今回の舞台、どの歌手も良かったが、スザンナと伯爵夫人が特に良かったと思った。

オーケストラも、コンパクトな印象だが、申し分なかった。

昨年11月に日生劇場で「コジ・ファン・トゥッテ」を観た時に書いたが、モーツァルトのオペラは、その時観ている演目が、最高傑作と感じられる。

2ヶ月前、「コジ」こそ最高傑作ではないか、と思ったが、今回は、いや、「フィガロ」が最高傑作だ、と思いながら、会場を後にした。

とにかく、これも前回書いたが、モーツァルトのオペラは、人生の宝だ。