25日(火)、所用で郷里の木更津に帰った。
この間に経験した、西口駅前のそごうの経営破綻も、大きなインパクトだった。
私は、1955年に木更津市で生まれ、西口にあった実家(借家)で、大学に進学して東京に転居するまでの18年間を過ごした。その後、実家は、今からちょうど40年前、東口に父が新築した家へ転居した。
また、父の実家も、母の実家も、同じ西口だった。
木更津がシャッター街化して既に久しいので、今更改めて言うことでもないのだが、今回帰って、改めて寂寥感に襲われた。
玩具店を営んでいた父の実家は、市内最大の商店街、本町にあった。
子供の頃の本町商店街の賑わいぶりは記憶しているが、今のその通りは、ひっそりと静まりかえっている。営業している店はほとんどない。
父の実家は、40年近く前、住んでいた祖母(父の母)を、父が引き取って面倒を見るようになったことで、誰もいなくなった。
母の実家の近くで、親戚の者が営んでいた旅館は、既に取り壊されて跡形もない。
母の実家では、叔父と叔母が、質屋とお茶屋を営んでいたが、二人とも健康を害したことで閉店した。叔父も叔母も今は家から離れた所におり、同居していた長男(私には従弟)も、地方勤務である。
自分の実家に父母はなく、母の実家を尋ねても誰もいない。
かつてのふるさとは、帰った時には、いつでも変わらずに迎えてくれるところだったが、今はもうそうした場所ではないのだ、としみじみ感じさせられた。
商店街の話に戻るが、本町商店街に限らず、シャッターを下ろしている店の前を歩いていると、かつてそこが営業していた頃を思い出す。
八剱八幡神社の裏あたりには、廃屋のようになってしまった店さえある。
つまり、かつてそれぞれの店で元気に商売をしていた人が、もう皆亡くなってしまったのだろう。そういうことなんだろう。
ただただ静かな、駅前の富士見通り。今のこの街には、経済が動いている感じがない。
街並みは昔のままだが、それだけに、形だけが残って魂が去ってしまったような空気がある。そこに寂寥感を感じたのだった。
本当に、昔からの現象なので、今さらどうこう言うのが自分でもおかしいのだが、珍しく平日に行ったこともあって、そんなことを思ったようだ。
小田(和正)さんは、「my home town」の中で、横浜について、「どんなに変っても僕の生まれた街」、「どんなに離れていてもまたいつか来るから」と歌っている。
私にとっての木更津もまったく同じだ。
生まれた街である以上、そこにある限りは、また来る場所であることに変わりはない。
※小田和正「my home town」歌詞