私は、その前の本社在籍時代、組合活動にさほど熱心ではなかった。どちらかというと労働組合というものに、思想的に若干の反発を感じたりもしていた。
M氏の、他の先輩には見られない綿密、緻密、かつ熱心な組合での仕事ぶりは、それまでどの先輩、同僚にも見たことのないものだった。
組合活動は、仕事の片手間に適当にやるものくらいに思っていた私にとって、大きな驚きだった。
組合活動は、仕事の片手間に適当にやるものくらいに思っていた私にとって、大きな驚きだった。
M氏は、私の隣の部署にいたのだが、もちろん会社の仕事においても、変わらぬ仕事ぶりで、尊敬できる人だった。
私のこれまでの会社人生で、自分に大きい影響を与えてくれた人の一人である。
私のこれまでの会社人生で、自分に大きい影響を与えてくれた人の一人である。
そんなことで、私もそれまで余り乗り気になれなかった組合活動に、熱心になっていった。
そして、支部役員としての活動を重ねた末、結局は後年、本部専従役員として、6年間仕事をすることになる。
M氏自身は、本部専従としての活動はされなかったが、彼の存在がなかったら、私は本部で専従までやることはなかったと思っている。
そして、支部役員としての活動を重ねた末、結局は後年、本部専従役員として、6年間仕事をすることになる。
M氏自身は、本部専従としての活動はされなかったが、彼の存在がなかったら、私は本部で専従までやることはなかったと思っている。
今はもう定年に達し、関係会社等に移籍された方も含め、現在東京に勤務している人たちに声をかけた。
8人が集まった。今は本社の人事部に所属しているM氏も参加された。
8人が集まった。今は本社の人事部に所属しているM氏も参加された。
せっかくなので、その当時、支部役員たちで、労使懇談会の後などに飲みに行っていた、品川駅港南口の「酔郷やぶ」という店を予約した。
当時の組合の会議は主に上野でやっていた。会議の後に毎回行っていた、京成上野駅そばの「樽正」という店の方が、我々にとってはなじみが深いのだが、この店は今はもうやめてしまっていて、あいにくだった。
次善の策として、品川の「酔郷やぶ」にしたのだった。
品川駅も、また港南口界隈も、今や当時とはまったく様変わりしてしまったが、そんな中、この店は、当時のままの場所に、当時のままの店構えで今でも営業している。
当時の組合の会議は主に上野でやっていた。会議の後に毎回行っていた、京成上野駅そばの「樽正」という店の方が、我々にとってはなじみが深いのだが、この店は今はもうやめてしまっていて、あいにくだった。
次善の策として、品川の「酔郷やぶ」にしたのだった。
品川駅も、また港南口界隈も、今や当時とはまったく様変わりしてしまったが、そんな中、この店は、当時のままの場所に、当時のままの店構えで今でも営業している。
当時の思い出話や近況報告などに花を咲かせ、20年以上時が戻ったような楽しい時間だった。
また時々はこのメンバーで集まりたいものだ。
また時々はこのメンバーで集まりたいものだ。