naokichiオムニバス

68歳、ヴィオラ弾き。ビール大好き。毎日元気。

知らなかった、元錦洋逝去

今日31日(金)、会社の帰りに、新浦安の有隣堂で、「相撲」を買った。
(定期購読している「大相撲」が、隔月刊になって、内容が物足りなくなったので)

電車の中で読んでいたら、元前頭の川崎悟氏の訃報が載っていた。

7月16日に、脳出血で亡くなったという。59歳。父上が喪主を務めたそうだ。親に先立つとは、親不孝なことだ。

新聞にも載ったと思うが、気がつかなかった。知らなかった。

四股名は、川崎→錦洋(にしきなだ)→川崎→大峩(たいが)と変遷。

先代の貴ノ花や、旭國黒姫山、金剛、三重ノ海、吉王山、増位山らと並んで、次代のホープとして、早くから注目されていた力士だ。

昭和44年7月場所で新入幕。この場所は、新入幕が4人いて、他には旭國黒姫山、栃勇。勝ち越したのは錦洋だけだった。

昭和45年3月場所で技能賞を受賞。技能賞というのは、例えば藤ノ川栃東(先代)のような、小兵の技巧派がもらうものというイメージがあったので、押し相撲の錦洋が技能賞をとったのが、「なるほど、突き押しも、相撲の技能の一つなのか」と、非常に新鮮に感じられたのを憶えている。

大鵬北の湖から金星をあげたこともある。

しかし、糖尿病を患ったことなどから、期待に反して三役にも上がることがないままに、昭和52年5月場所を最後に角界を去った。

廃業後は、ちゃんこ料理店をやっていたが、その後、糖尿病の悪化で、目が不自由になり、マッサージ師の資格をとって働いていたことは、新聞か雑誌で読んで知っていた。

やはり、長生きはできなかったのか、という印象だ。

そう言えば、川崎氏が亡くなった少し前には、元大輝煌(だいきこう)の林正人氏も、同じ脳出血のため、41歳の若さで逝去している。

この人も、十両を1場所で通過しながら、幕内1場所勤めただけで終わってしまった。

将来を嘱望された力士が、期待通りに活躍できずに角界を去り、しかも、第二の人生も全うできずに、若くして亡くなる、というのは、あまりにもせつない。

せめて、ご冥福を祈る。