高安と勢は、左四つ、互いに上手がとれない体勢。右四つの勢相手にこの形になった時点で、高安としてはこれはとりあえず自分のものと思ったのではないか。何かの形で料理はできる、と。
しかし、何とかしようと先に動いたのは勢だったので、後手にまわったままに終わった。
相撲は難しいものだ。
しかし、何とかしようと先に動いたのは勢だったので、後手にまわったままに終わった。
相撲は難しいものだ。
妙義龍は、左の肩がよほど痛いのだろう。昨日の相撲でも左腕は使っていなかった。
今日の豪風戦、左はあまり使わずに右からの攻めで一気に出た。しかし勝負を決めきれず、右四つ。
豪風は必ずしも四つ相撲得意ではないが、現状の妙義龍としては、組まれたらまずい感じが見えた。
苦しい状況ではあったが、さすがに四つ相撲の地力では勝る妙義龍が、何とかしのいだ。
しかし、妙義龍、前途は苦しそうだ。
今日の豪風戦、左はあまり使わずに右からの攻めで一気に出た。しかし勝負を決めきれず、右四つ。
豪風は必ずしも四つ相撲得意ではないが、現状の妙義龍としては、組まれたらまずい感じが見えた。
苦しい状況ではあったが、さすがに四つ相撲の地力では勝る妙義龍が、何とかしのいだ。
しかし、妙義龍、前途は苦しそうだ。
琴奨菊は、過去9勝13敗と苦手の豪栄道との相撲。どうかと思ったが、こわからずに前に出ながら右四つに組み、出ておいての上手投げで決めた。
やはり、このところ指摘されているように、琴奨菊は左四つよりも右四つの方が形がいい。
やはり、このところ指摘されているように、琴奨菊は左四つよりも右四つの方が形がいい。
さて、自分の形、という点では、稀勢の里。
いわゆる綱盗り場所を、序盤からぶちこわしにして、既に3敗。これについては、個人的には、以前から何度も書いていることだが、そもそも稀勢の里が、今、横綱を云々できる力士なのかどうか、とまた言わざるを得ない。
「自分の相撲が確立していない」と言うに尽きるのだ。
再三再四言っているが、左四つの相撲の形がよくない。脇の甘さも大きな欠点だ。
今日の旭天鵬戦に関しては、右上手をがっちりとっての一方的な相撲になったが、それは地力に大差ある相手だったからであって、右上手の相撲なのか、左差し右攻めの相撲なのか、左下手を活かす相撲なのか、これだけ長年見てきても、私にはさっぱりわからない。稀勢の里の相撲から伝わってこないのだ。
横綱をめざす、というレベルの力士でなくても、たいていは、「自分はこういう相撲をとるのだ」という「思い」が伝わってくるものだ。稀勢の里には、不思議にそれがない。
伝わってくるのは、幕下以下の時代から、将来を嘱望されてきた、という自意識。そして、入幕くらいまではその通りに出世してきたのに、いつからかギャップが出てきた、という、別の自意識だ。
一緒に観ていた妻が、「この人は、自分の思い通りの展開にならなかった時に、対応ができないね」と言った。
その通りだ。自分の相撲が確立していないから、対応力がないのだ。
琴奨菊について、この人のこれまでの左四つの相撲より、最近見せる右四つの相撲の方がいいと思う。
同じように、稀勢の里も、いつの間にか自他ともに作り上げてしまった、稀勢の里=左四つ得意、というイメージを白紙に戻してはどうか。
私は、この人は、突き、おっつけの相撲の方が向くと思っているが、その路線をとったにせよ、脇の甘さがハンディとなる。よほどの研究が必要だろう。
今日の正面解説は元魁皇の浅香山親方。
怪我が多くて横綱になれなかった魁皇だが、それでも、今の稀勢の里よりは強かったし、何より、左四つ右上手という、こうなったら魁皇、という型を持っていた。
それでも、稀勢の里が横綱横綱と言われるのは、現状の相撲界で、日本人力士としての期待度に過ぎない。国籍を度外視して、純粋に力士としての強さの評価からきているものなのかどうか。
何にせよ、まだ一度も優勝したことがない大関を、綱盗り、と持ち上げるのは、いかがなものか、ということだ。
いわゆる綱盗り場所を、序盤からぶちこわしにして、既に3敗。これについては、個人的には、以前から何度も書いていることだが、そもそも稀勢の里が、今、横綱を云々できる力士なのかどうか、とまた言わざるを得ない。
「自分の相撲が確立していない」と言うに尽きるのだ。
再三再四言っているが、左四つの相撲の形がよくない。脇の甘さも大きな欠点だ。
今日の旭天鵬戦に関しては、右上手をがっちりとっての一方的な相撲になったが、それは地力に大差ある相手だったからであって、右上手の相撲なのか、左差し右攻めの相撲なのか、左下手を活かす相撲なのか、これだけ長年見てきても、私にはさっぱりわからない。稀勢の里の相撲から伝わってこないのだ。
横綱をめざす、というレベルの力士でなくても、たいていは、「自分はこういう相撲をとるのだ」という「思い」が伝わってくるものだ。稀勢の里には、不思議にそれがない。
伝わってくるのは、幕下以下の時代から、将来を嘱望されてきた、という自意識。そして、入幕くらいまではその通りに出世してきたのに、いつからかギャップが出てきた、という、別の自意識だ。
一緒に観ていた妻が、「この人は、自分の思い通りの展開にならなかった時に、対応ができないね」と言った。
その通りだ。自分の相撲が確立していないから、対応力がないのだ。
琴奨菊について、この人のこれまでの左四つの相撲より、最近見せる右四つの相撲の方がいいと思う。
同じように、稀勢の里も、いつの間にか自他ともに作り上げてしまった、稀勢の里=左四つ得意、というイメージを白紙に戻してはどうか。
私は、この人は、突き、おっつけの相撲の方が向くと思っているが、その路線をとったにせよ、脇の甘さがハンディとなる。よほどの研究が必要だろう。
今日の正面解説は元魁皇の浅香山親方。
怪我が多くて横綱になれなかった魁皇だが、それでも、今の稀勢の里よりは強かったし、何より、左四つ右上手という、こうなったら魁皇、という型を持っていた。
それでも、稀勢の里が横綱横綱と言われるのは、現状の相撲界で、日本人力士としての期待度に過ぎない。国籍を度外視して、純粋に力士としての強さの評価からきているものなのかどうか。
何にせよ、まだ一度も優勝したことがない大関を、綱盗り、と持ち上げるのは、いかがなものか、ということだ。
白鵬が安美錦に薄氷の勝利。立ち会い、すばやいもろ差しを許して、九分九厘負けたか、という相撲だったが、土俵際で辛うじて残っての逆転。
今場所の白鵬の相撲は、まったく見るべきものがないと思っていたが、こういう相撲が出てくるのも、その意味では意外ではない。
連勝記録が続いてはいるが、前回の63連勝の時に比べれば、内容的には大きく劣る。スキのない強さ、というのはまったくなく、今日、安美錦にあの形になられたのは、まさにスキを見せたということだ。
勝ったからいいというものではない。こんな相撲で、連勝を38に伸ばしても、まったく評価はできない。遠からずこの連勝は止まるだろう、と思わせる相撲だったし、今場所の優勝争いにしても、全勝でトップを走っているにせよ、千秋楽までに2つくらい星を落としても不思議はないと思う。
ところで、私が問題としたいのは、この相撲を見せられてなお、白鵬をほめるNHKの放送だ。あそこで残すのはさすが、連勝を38に伸ばしました、という言い方だったが、そういう報道姿勢はやめてもらいたい。
「勝ったからいいというものではない」「今場所の白鵬の相撲は全盛時の強さとはほど遠い」と言うべきではないのか。連勝記録、全勝での優勝争い単独トップ、という外面上の事実だけに目を向けるのではなく、批判すべきは批判してほしい。
今場所の白鵬の相撲は、まったく見るべきものがないと思っていたが、こういう相撲が出てくるのも、その意味では意外ではない。
連勝記録が続いてはいるが、前回の63連勝の時に比べれば、内容的には大きく劣る。スキのない強さ、というのはまったくなく、今日、安美錦にあの形になられたのは、まさにスキを見せたということだ。
勝ったからいいというものではない。こんな相撲で、連勝を38に伸ばしても、まったく評価はできない。遠からずこの連勝は止まるだろう、と思わせる相撲だったし、今場所の優勝争いにしても、全勝でトップを走っているにせよ、千秋楽までに2つくらい星を落としても不思議はないと思う。
ところで、私が問題としたいのは、この相撲を見せられてなお、白鵬をほめるNHKの放送だ。あそこで残すのはさすが、連勝を38に伸ばしました、という言い方だったが、そういう報道姿勢はやめてもらいたい。
「勝ったからいいというものではない」「今場所の白鵬の相撲は全盛時の強さとはほど遠い」と言うべきではないのか。連勝記録、全勝での優勝争い単独トップ、という外面上の事実だけに目を向けるのではなく、批判すべきは批判してほしい。
日馬富士もまた、今日は落胆する相撲。千代大龍の今場所の勢いに臆したか、立ち会いに右に変わって相手の左かいなをたぐりにいったが失敗、そこで勝負は決した。
相撲をとる前から、気負けしていた、と思われても仕方がない相撲だ。
負けるべくして負けた相撲。横綱がこういう相撲をとってはいけない。ここにきて、調子を上げてきていたと見ていただけに、誠に残念。
相撲をとる前から、気負けしていた、と思われても仕方がない相撲だ。
負けるべくして負けた相撲。横綱がこういう相撲をとってはいけない。ここにきて、調子を上げてきていたと見ていただけに、誠に残念。
両横綱のこういう状況で、果たして後半戦、どういう優勝争いの展開になっていくのだろうか。