もともと相撲には何の興味もなかった妻だが、私の脇で相撲を観てきて、ある時に指摘したことがある。
「naokichiが、「有望だ、これは強くなる」と言った力士の多くは、強くならない」
言われてみると、否定できない。
下位の有望力士については、名前くらいは前もって知っていても、実際にその力士の相撲を観るのは、十両上位に上がってきて、中入り後に幕内力士と対戦するようになってからだ。
そして、本格的にはその力士が入幕してきて、ああ、こういう相撲をとるんだ、と思いながら観ることになる。
そういう力士の中には、当然、「これはいい相撲をとる。きっと強くなるぞ」と思う人もいるのだが、その「鑑識眼」が、長年相撲を観てきている割には、あんまりあてにならない、という妻の指摘には、何を言ってるんだ、お前は、と却下できないものがあるのである。
確かにそういうケースが少なくない。
今思い出しても、自分でも笑ってしまうのは、朝日山部屋の大飛翔という力士だ。
この人が入幕してきた時、私は即座に、「有望宣言」をした。
ところが、いくらもしない内に、大飛翔は十両に陥落し、それどころか、間もなく幕下に落ちて、二度と浮かび上がってくることはなかった。
この人が入幕してきた時、私は即座に、「有望宣言」をした。
ところが、いくらもしない内に、大飛翔は十両に陥落し、それどころか、間もなく幕下に落ちて、二度と浮かび上がってくることはなかった。
どうも、私がテレビを観ていて、目をつけた力士は、この千葉の部屋から送られる「念」で、せっかくの素質、有望さの芽を摘まれてしまうらしい。
ということで、相撲を観ていて、私が相変わらず、「この力士はいいな」と言うと、脇で妻が、「ああ、かわいそうに、この人はもうだめだね」とつぶやくのが常なのだ。
今場所、このことを、妻が「デスノート」と名付けた。
確かにそうなんだよな。
もちろん例外はあって、私のデスノートを乗り越えて、立派な実績をおさめた力士としては、千代の富士、貴乃花、三代目若乃花などがいる。
最近では白鵬。
安馬も、試練をくぐりぬけて、大関の座をつかんだようだ。
最近では白鵬。
安馬も、試練をくぐりぬけて、大関の座をつかんだようだ。