あるマイミクさんが、日記に書かれていたのだが、「生活のために必要ではない楽しみ」をやろうとする時、「不謹慎」という言葉が頭に浮かび、そのことで、ずいぶん悩まれ、苦しまれているとのこと。
「生活のために必要ではない楽しみ」・・・。
私の生活の中だと、酒を飲むこと、楽器を弾くこと、音楽を聴くこともかな。
東北で、家も家族も何もかもを失った多くの方々がおられる事実。
その方々のことを思ったら自重しないと、というのは、確かに一つの考え方だろう。
難しい問題だ。
でも、とことん、個人的に言わせてもらいますが。
あの、3月11日(金)の夜。
電車が止まって家には帰れなくなってしまい、何の支度もないのに会社に泊まることになったあの夜。
実はですね、私の会社では、泊まる者たちで酒盛りしたんですよ。
これは、ここまであんまり記事にははっきり書かなかったんですけどね。それこそ不謹慎な気がして。
これは、ここまであんまり記事にははっきり書かなかったんですけどね。それこそ不謹慎な気がして。
でも、あの時点では、我々は間違いなく「被災者」でした。
私自身もそうでしたが、家族の無事が完全に確認できない状況。家がどうなっているかわからない状況。
今よりもずっと頻繁に襲ってきていた余震の不安。
今よりもずっと頻繁に襲ってきていた余震の不安。
そんな中、私の会社では数十人が会社に泊まりましたが、私の職場を始め、真っ先にやったのは、近くの業務スーパーへの買い出し。酒、食べ物。
外に飲みに行っても、店はやっていないだろう、ということで。
で、結局、どのフロアでも、多くの者が大なり小なりの飲み会をしたあげくに寝たのでした。
何と不謹慎なマネを? という感じですが、被災者自らがやってるんだから、不謹慎などとはもちろん思わなかったわけで。
たぶん、上記の通り、被災者だったからだ、と今は思います。あんな状況だったからこそ、会社の仲間同士で一緒にいることが心強かったし、また、本当なら心の中にあるさまざまな不安や動揺から逃れたい気持ちもあって、飲んだのかな、と今はふりかえります。
あんな状況でも飲んだ、とも言えるし、あんな状況だから飲んだ、とも。
ありえないこと、非日常がふりかかった時に、当事者としては、そこを脱して、日常の世界をさぐろうとするものです。
辛い時、悲しい時、苦しい時、その当事者は、そこから逃れようとするものです。
これは、今回の震災でも感じましたし、個人的には、だいぶ前に、妻が患って入院した時、あるいは一昨年母が急逝した時にも感じたことです。
当事者のメンタル面はそうなんだと思います。バランスをとろうとするのです。
だから、自分がその後、自分も家族も無事、家も無事だったということがはっきりしてからは、メンタルの安定を得たから、東北の方々を見るにつけ、冒頭のマイミクさん同様に、こんなことをして不謹慎ではないか、と思うようにもなりました。むしろね。
ただ。
自分が、今回の震災、あるいは妻の病気、母の死の局面で、非日常の当事者だった時を思い起こすと。
そこから日常に逃れたい。でも逃れられない時に、周囲でいつも通りの平和で楽しい生活をしている人を見て、どう思ったか。
うらやましいとは思った。でも、周囲の人たちに恨めしいとか憎いとかの感情は持たなかったです。
あいつら、不謹慎じゃないか、とかは思わなかった。周囲の方が当たり前で普通なのはわかっていたから。
むしろ、気を遣われて、私の前でことさらに粛々とされていたら、却って居心地が悪かったのではないか、と思います。
普通にしていてもらった方がありがたかったとも言えます。
そうしたことを考えた時に、「生活のために必要ではない楽しみ」を、今、とりあえず深刻な状況は脱した我々が行うことは、不謹慎なのかどうか。
さまざまな意見があると思いますが、私個人は、それを不謹慎だと考えて自粛することが、少なくとも「一番よい」ことだとは思えません。
東北のみならず、浦安のオケ仲間が、いまだ不自由な生活を強いられていることには心が痛みます。それは事実ですが、だから、それに比べて恵まれた環境に今いる私は、どうすべきなのか。
あー、難しい。
テレビは、普通のCMが復活し、バラエティやお笑い番組も放送されるようになりました。
被災者の方々のことを思ったら、それは不謹慎だ、放送するな、という意見もあるでしょうね。
でも、一時のように、どの局も24時間、震災の悲惨ばかりを伝えていた、そういう放送体制がずっと続くこともまた、よいのかどうか。
そのテレビが、ここのところ、「今、我々に何ができるのか」と、繰り返し問いかけてきます。
難しいけど、今苦しんでいる人たちにはできないことが、自分にはできる状況にあって、それをやらずに控えているのが、一番望ましいことなのかどうか。
うーん、やっぱり違うような気がする。これには反論がたくさんあるだろうけど。
とても難しいけど、今の時点では、私は、やっぱり前に書いた考えに落ち着きます。
普通にできる人は、普通にしていればよい。
でも、普通にできることに、必ず感謝しなければ。
そして、感謝すると同時に、普通にできないでいる人が、いつか元の生活を取り戻せることを、必ず祈りたい。
笑えるのであれば、笑おう。
笑うこととあわせて、願おう。
今の時点では、ですが。
まだまだ考えなくちゃ。