アバドが亡くなった。
移動中に、携帯電話でmixiをチェックしていたところ、マイミクのtsunoGさんのつぶやきが目に入った。
「クラウディオ・アバド氏死去。ショックです…。」
これでアバドの逝去を知ったのだった。
実はその時、ウォークマンでアバドのブラームスを聴いていた。
ウィーン・フィルとの1番を聴いた後、ベルリン・フィルとの2番を聴いているところだったのだ。
ドイツ・グラモフォンに録音した、古い方の全集だ。
ウィーン・フィルとの1番を聴いた後、ベルリン・フィルとの2番を聴いているところだったのだ。
ドイツ・グラモフォンに録音した、古い方の全集だ。
この2番の旧盤は、大学1年の冬、翌年春の大学オケの演奏旅行で演奏するのに向けて買った。
ウォークマンには、1番が5種類、2番が3種類入っている。
その中からアバドの演奏を選んで聴いていたのは、偶然だったのだろうか・・・。
高校3年の時、「レコード芸術」誌(1973年12月号)で、世界の指揮者ランキングの特集があった。
記憶が正確でないかもしれないが、上位10人はこうだったと思う。
7位から9位の、小澤、メータ、アバドは、当時、若手指揮者として、次代を担う三羽ガラス的な存在だった。
70年代、80年代と、アバドはグラモフォンから多数の録音をリリースし、私もあれこれ聴いたものだ。
この時期のアバドの演奏には、何の曲であっても、響きに独特のうるおい、香りがあり、私はそれが気に入っていた。
中でも、マーラーのこの3番は、私にとっては最も大切なレコードの一つで、今でもしばしば聴いている。
そのアバドが亡くなったことには、時の流れを感じる。
80歳というから、早死にというわけではない。以前、大病をしているが、それにもかかわらず、よく持ち直して活躍していた、という印象がある。
3日後、再度梅田に出向く機会があり、今度は阪急梅田駅の近くにある、別のタワレコの店舗に行った。
アバドの追悼コーナーができていた。