naokichiオムニバス

68歳、ヴィオラ弾き。ビール大好き。毎日元気。

最終回

2014年3月31日(月)、消費税5%最後の日に、「いいとも」が最終回を迎えた。

まあ、日本国民、一人一人が、「いいとも」の思い出をそれぞれに持っていることだろう。

私も、語り尽くせぬ、とまでは言わないものの、語ろうと思えば色々あるなあ。

一つ思い出した。この番組の第1回を、私は茨城県の日立で観ている。

いや、第1回だったかどうかは自信がないのだが。

第1回の放送は、1982年10月4日。ネットの万年カレンダーで見ると、月曜日だ。

(1982年という年は、個人的には、「いいとも」放送開始の他、オフコース伝説の武道館10日公演の年であり、歌謡界において「花の82年組」と呼ばれる、空前絶後の新人豊作の年として記憶している。松本伊代中森明菜小泉今日子早見優堀ちえみ石川秀美、シブがき隊)

当時、27歳の私は、品川の支店に勤務していたのだが、月2回、月初めと下旬に、日立にある工事事務所へ、事務の仕事で出張していた。

たぶん、10月4日は、時期的には日立にいたはずだ。

その前の、「笑ってる場合ですよ!」の後番組として、「いいとも」が始まったことには関心があり、日立の事務所の食堂のテレビで観た記憶がある。

あれは第1回の放送だったんだろうか。

そのことはさておき、今日は、会社から帰ってきて、夕食をとりながら録画を観た。

オープニングで、タモリが歌ったのが、オールドファンとしては実に感慨深かった。
手元にある「いいとも!論」(別冊サイゾー)によると、タモリが歌わなくなったのは、2000年3月からなのだそうだ。そんなに前なんだ。

月曜レギュラーの出番はほとんどなく、大半をテレホンショッキングが占めた。

テレホンショッキング、最後の最後をビートたけしにしたのは、大いに納得だった。
(テレホン第1回のゲストである桜田淳子、というのもありだっただろうが、いかんせん今は一般人。大穴で小田(和正)さん、という説もネット上でちらっと見たが)

出てきてすぐの、表彰状の朗読を別にすれば、たけしが妙におとなしかった印象。

一方、タモリは、何だかとても嬉しそうだった。

当人同士にしかわからない何かがあるように感じられた。

最終回の最後、タモリが何と言うんだろう、とここ数日思っていたのだが、結果は、「明日もまた観てくれるかな?」だった。さすが、と思った。

周囲のレギュラー陣が、ここ1週間、それぞれの思いや動揺を隠せずにいたのをよそに、8,054回の最終回でも、涙はおろか、何ら特別な表情を見せずに、「いつものように」番組を終えたことを、さすが、と思った。

(ただ、本人の内心はわからない。今書いたような、「最終回のタモリ像」は、多くの視聴者が期待していたと思われる。タレントとして、それに応えた、ということかもしれない。むしろ、感情を露わにして号泣した方が、番組的には面白かったかもしれない。いささか、予想通りのタモリでありすぎた気もする)

明日にでも、夜の超特大号の録画を観てみよう。そこでは、今書いたのと違うタモリがいたかもしれない。

ついでに付け加えると、タモリは昭和20年8月生まれ。私より10歳上だ。ついでに言うと、小澤(征爾)さんは、昭和10年9月生まれで、私より20歳上。自分の年齢を考える時、いつもこの2人を意識する。
私が還暦を迎える来年、タモリは古希、小澤さんは傘寿ということになる。

※関連の過去記事
    84.2.14 小田和正 on テレフォン・ショッキング
       http://blogs.yahoo.co.jp/naokichivla/55947515.html
    「笑っていいとも!」終了のニュースに
       http://blogs.yahoo.co.jp/naokichivla/63941010.html
    4月1日、こんな企画は
       http://blogs.yahoo.co.jp/naokichivla/64192501.html
    とうとうこの日が
       http://blogs.yahoo.co.jp/naokichivla/64200402.html