ヴィオラトップのNさんに、次回練習参加します、と事前にメールを入れたら、「当日は、団員が皆欠席なのですが、それでもよろしければ・・・」という返信。
げっ。 ヴィオラは私ひとりということ?
少し思案させて下さい、と返信した。
弾けてない状態なので、ご迷惑をかけることになるだろう、という懸念と、個人的には1回でも多く練習に出ておいた方が、という気持ちと、相半ばしながら思案の末、やはり行くことにした。
今回の合奏は、副指揮者のK先生の指導で、「未完成」と、「ライン」の2、3楽章だった。
まず、「未完成」から。
ヴィオラはやはり私だけ。浦安オケ入団当時は、そういうことが多かったので、懐かしい気持ちもあったが、何と言ってもここはよそのオケだから・・・。
それとね。練習開始時点で、チェロがいなかったんだけど、「未完成」って、ヴィオラとチェロが一緒に動く部分が多いんで、チェロがいないと、もう、ヴィオラひとりで素っ裸、という状況になり、いやはや。
やっぱり来なきゃよかったか? と思ってたら、2楽章の途中で、チェロのエキストラの方が来られたので、安堵、安堵。
やっぱり来なきゃよかったか? と思ってたら、2楽章の途中で、チェロのエキストラの方が来られたので、安堵、安堵。
1楽章を通してから返し練習、2楽章も同様の形で。
しかし、いつも思うことだけど、「未完成」というのは、本当にいい曲だね。
聴く場合もそのたびに思うが、実際に演奏していると、その感を深くする。
聴く場合もそのたびに思うが、実際に演奏していると、その感を深くする。
休憩時に、K先生が声をかけて下さった。
先生には、浦安オケの合奏もみていただいており、5月のフランクはどうでしたか、とか、年末の市民演奏会の話題も。
先生には、浦安オケの合奏もみていただいており、5月のフランクはどうでしたか、とか、年末の市民演奏会の話題も。
休憩後は、「ライン」。
個人的には9年ぶりに演奏する曲だが、久しぶりに弾いていると、やはり、シューマンという人の音楽が、他のどの作曲家のそれとも違うことを感じる。
例えばシューベルト、例えばブラームス、同じ独墺系ロマン派のオーケストラ曲と、ずいぶん違う。
それは、言ってみれば、しゃべり方、言葉遣い、語り口だ。何を語っているか、という音楽の内容以前に、話し方、口調が異なるように思う。
こういう音符の書き方、並べ方は、他の作曲家では見ない、と感じることが多い。
もちろん、語る内容も異なるのだが。
例えばシューベルト、例えばブラームス、同じ独墺系ロマン派のオーケストラ曲と、ずいぶん違う。
それは、言ってみれば、しゃべり方、言葉遣い、語り口だ。何を語っているか、という音楽の内容以前に、話し方、口調が異なるように思う。
こういう音符の書き方、並べ方は、他の作曲家では見ない、と感じることが多い。
もちろん、語る内容も異なるのだが。
K先生からは、1人しかいないヴィオラにも、音程その他、容赦なく指摘や指示があったし、皆さんにはやはり色々ご迷惑をおかけしたと思う。
今後、しっかりやらねば、と痛感させられた点、一応は今回の練習に出てよかったか、と思いながら、谷津公民館を後にした。
今後、しっかりやらねば、と痛感させられた点、一応は今回の練習に出てよかったか、と思いながら、谷津公民館を後にした。