6曲のシンフォニーを、ほんの少しずつだが、演奏するものだ。
そのため、今週は、通勤時に、チャイコフスキーのシンフォニーを、1番から順番に聴いた。
私の場合、1番から3番の前半3曲と、4番から6番の後半3曲では、なじみの度合いが天と地ほども違う。
後半3曲は、学生時代から、レコードで、また実演で、数え切れないくらい聴いてきた。
一方、前半3曲は、この歳になるまで、ほとんど知らずに来たと言っていい。
おそらく、これは私だけでなく、一般のクラシックファンにとっても似た状況ではないだろうか。レコードの名盤選びの本などでも、チャイコフスキーのシンフォニーと言えば、後半3曲は必ず載っているのに対して、前半3曲が載っているのを見たことがない。
今週、その前半3曲を聴いてみて思ったのは、どの曲も立派なシンフォニーだということだ。作曲家によっては、初期の交響曲が、まだ若書きの習作的なもので聴き劣りがするとかいう場合もあるが、そんなことはまったくない。
前半3曲と後半3曲、どうしてこれほど一般的な人気に大きな落差があるのか、不思議に思える。
以下は、ついでの話。
5番の2楽章を聴いていて、この楽章は、何と言うのか、「格別な音楽」だと改めて思った。
メロディの美しさは言うまでもないが、音楽の作り、構成がとてもよくできている。
音楽の運び、楽器の選び方、副声部の配し方、完璧な作りだと思う。
具体的にあれこれ指摘するボキャブラリーを持たないのが、大変もどかしいのだが、とにかく、よくできた音楽だと思うんですよ。
チャイコフスキーの音楽は、常に論理的に書かれているので、すべてよくできていると思えるが、この5番の2楽章は、中でも格別に感じる。
mixiで、これをつぶやいたら、多くの方から「イイネ!」をいただいた。
こういう、自分の波長にぴったり合い、端から端までよくできた完璧な音楽、と思える曲が、私にはいくつかある。
モーツァルトの作る音楽は、すべてこれに該当するので、別格とする。
最後に。
やりたくない、イヤだと再三言ってきたチャイ4。
練習で弾く回数を重ねてきて、だんだんやる気が出てきた。
難しいのであれば、ものにしてやろう、という意欲がわいてきたのを自覚している。
特に1楽章。