naokichiオムニバス

68歳、ヴィオラ弾き。ビール大好き。毎日元気。

50歳の今年もめでたく老眼鏡回避

晦日である。
今年も老眼鏡を買わずに済んだ。

年齢を重ねるに従っての肉体の変化は、個人差が大きい。
太り方。白髪の増え方。禿げ方。
高校のクラス会、会社の同期会などでは、在学中のまま、入社当時のまま、という奴も中にはいるが、たいていはどこかが変貌している。

私の場合は体重の増加だ。最近はこわくて体重計にも乗っていないが、高校当時、就職当時からすると、20キロは増えている(「勤続1年で1キロ増える」というのは正しい説だ)。もっとかもしれない。
以前、15年ぶりか何かで高校のクラス会があった時は、行くのがこわかった。
私であることをわかってもらえないのではないか、という恐怖である。
案の定、瞬間にはわかってもらえなかった(涙)。
名乗った時、一同が浮かべた驚きの表情にまた傷ついたものだ。

目の老化も個人差が大きい。

会社で見ていても、私より年下で、もう何年も前から、老眼鏡を使っている者がいる反面、もう定年になる60歳になっても、全く眼鏡をかけないで通した者も知っている。

昔から視力には自信があった。
もうだいぶ前だが、前田吟が「離せばわかる」というコピーで、テレビコマーシャル(老眼鏡ではなく、目薬だったか)をやっていた。視力に自信の私は、へえ、と思って見ていたものだ。

しかし、40代も半ばを過ぎるあたりから、小さい文字がちょっと辛くなってきた。
で、少し「離せば」確かに「わかる」のだ。
ああ、そういう歳になったか、と思った。
以後、それなりに進行していったので、自分なりの覚悟をした。

ある時、実家に帰った際に聞いたら、父も母も老眼鏡を作ったのは50歳だったという。
その話を聞いて、自分としての目標は、親の50歳超えになった。

ここのところ、毎年、「この調子なら、今年いっぱいは老眼鏡を作らずに通せるな」とどこかで意識するようになった。

そして、今年50歳に到達。
少しずつ進行はしている。少し暗いところでは細かい字が厳しくなった。仕事中でも、細かい字や図面は、ルーペで見ないといけなくなった。
ルーペは手近なところから手放せないものになり、会社のデスクの抽出、鞄の中、自宅のリビングとトイレにそれぞれ置いてある。
しかし、まだまだ、基本的にはちょっと離せば大丈夫の次元だし、電車の中で本も支障なく読める。楽譜も問題なく読めるから、演奏への影響もない。

ということで、今年もめでたく、老眼鏡なしで年越しができる。
来年持ちこたえれば、両親超えである。

私は近眼でないので、ふだん眼鏡はかけていない。
そういう者が、ある日、職場で眼鏡をかけて書類を読むようになったら、気がついた周囲の者にきっと何か言われるんだろうな、と思う。
何か屈辱というか、そんな気分なんだろうか・・・。
いずれそんな日がくるんだろうが、とりあえず、まだまだ、である。