しかし「ジュピター」!
モーツァルトの作品は、すべて神業。人間業ではないと思うが、この「ジュピター」の終楽章、このフーガは!
人間がこういうものを作れたのか、とやはり思う。
3大交響曲、どれも甲乙つけがたいと思いつつ、やはりこの曲は一つ隔絶していると思う。
モーツァルトの作品は、すべて神業。人間業ではないと思うが、この「ジュピター」の終楽章、このフーガは!
人間がこういうものを作れたのか、とやはり思う。
3大交響曲、どれも甲乙つけがたいと思いつつ、やはりこの曲は一つ隔絶していると思う。
この終楽章を、一度でも弾けたら、もう思い残すことはない。
そんな音楽だ。
そんな音楽だ。
上手いオケのヴィオラの後ろの方にまじって弾けたら、というのではだめだ。
自分のオケで、パートの全員で一所懸命取り組んで、弦全体、オケ全体としても、満足のいく仕上がりまでもっていくプロセスがとれたなら・・・。きっと全身にふるえがくる思いだろう。
おそらくそれは、ドでかい編成の、例えばマーラーをやった、という満足感とは全く異質な、しかし同じくらい価値のあることの筈だと思う。
自分のオケで、パートの全員で一所懸命取り組んで、弦全体、オケ全体としても、満足のいく仕上がりまでもっていくプロセスがとれたなら・・・。きっと全身にふるえがくる思いだろう。
おそらくそれは、ドでかい編成の、例えばマーラーをやった、という満足感とは全く異質な、しかし同じくらい価値のあることの筈だと思う。
編成が小さいから、なかなかとりあげにくい曲なのだが、いつか、自分のオケの「名誉」として、「とうとう我々もここまできた」という意識で演奏できたら、ほんと、死んでもいい。そう思う。