naokichiオムニバス

68歳、ヴィオラ弾き。ビール大好き。毎日元気。

週刊文春堀井憲一郎氏になるほど

週刊文春に連載されている、堀井憲一郎さんの「ホリイのずんずん調査」を時々読んでいる。

今出ている最新号、「トリノ五輪報道の気まずい理由」には、なるほど、と思ってしまった。

ホリイ氏いわく、毎晩オリンピックの競技を見ていて、けっこうダメージをくらった、それは、「冬の競技が人の失敗を願う競技だからですね」。

夏のオリンピックなら、100メートル走でも200メートル平泳ぎでも、よーいドンでみんな同時に出発して誰がゴールに早く入ったかで勝者を決める。
しかし、冬の場合、一人ずつ競技をしているという訳だ。

日本選手がいい記録を出し、現時点で2位、残り4人という時、日本中が残り4人の競技を「失敗しろ」と眺める。
人の失敗を願いつつ、スポーツを見るのはよくない、しかし願ってしまう。解説者も微妙な発言になる、というのが、記事の主旨だ。

そして、この連載らしく、トリノの前半戦で、「おれたちはどれくらい外国選手の失敗を祈ったのか」という数字が載っている。

なるほどねえ、と思った。
まあ、夏のオリンピックでも、陸上のフィールド競技、棒高跳び走り高跳びなどは一人ずつだ。
しかし、個人戦に関して、一人ずつ、の比率は冬の方が圧倒的に高いのは確かだと思う。

昨日の朝の女子フィギュアにしても、日本人で最初に滑った安藤美姫選手がその時点で何位だったか忘れたが、仮に8位だったとして、そこから順位が上がるということは絶対にない訳だ。
後から滑る選手で得点の高い選手が出れば、一つずつ順位が下がっていく。

だから、メダル争いにしても、荒川静香選手が滑り終えてその時点で1位、残る滑走者が確か3人だったと思うが、続く村主章枝選手が荒川選手を上回れなかった時点で、「荒川、メダル確定」「あとはメダルの色」という話になる。

最終滑走のスルツカヤ選手が滑り始める前、ラジオの解説者は「荒川の滑りを見て、コーエンの転倒を見て、スルツカヤは大変なプレッシャーを感じているでしょうね」というようなことを言った。
「プレッシャーに負けてミスしてくれれば」というニュアンスが感じられた。「そのプレッシャーをはねかえして、さすが第一人者という滑りを見せてくれることを期待したい」というニュアンスはまったくなかった。

で、結果、スルツカヤ選手のミスがあって、「荒川選手、めでたく金」となった訳だ。

私自身、確かに、先に滑ったSPトップのコーエン選手が2回転倒した時は、正直「やった!」と思ってしまった。
堀井氏指摘の通り、こんな見方をしている人は多いんだろう。

きれいごとの言い方をすれば、それぞれの選手が、自分の持つ力を遺憾なく発揮し、その結果、一番秀でていた人が金メダルであるべきだ。スルツカヤ選手がさすがの滑りをしたが、今回のオリンピックでは、荒川選手がそれを上回る素晴らしい滑走をしたので、金メダルをとった、と。
しかし現実はそうでなく、コーエン選手とスルツカヤ選手がミスして落ちた結果だ。
新聞では「荒川、逆転の金」という見出しも見られたが、こういうのも逆転と呼ぶのか、と少し思ったりした。
野球やサッカーで、相手チームにとられた点をとりかえし、逆転した、というのとはやはり意味合いが違う。
一人ずつ競技、の場合は、終わったらもう自分の力でその上には行けないのだから、構造的に仕方がないのだが。
と書いてきて、思ってみれば、相撲もそうか。
朝青龍が、星二つの差を逆転して優勝した、などというのは同じことだ。そうだった。

あ、もとより、私は荒川選手の金メダルの価値をどうこう云々したい訳ではない。誤解されると困るが。

言いたいのは、「失敗しろ!」という競技の見方を指摘された堀井氏に共感をおぼえたということだ。
ライバルの失敗を願いつつスポーツを見る態度は、スポーツマンシップにのっとった姿勢ではないように思ったりする。

しかし更に思う。
スポーツマンシップというけれど、「相手の弱いところを突いて勝つ」というのも、勝負の一面ではある。
格闘技などでは、相手選手が負傷している時に、そのケガしている部分を攻めようとしないと、厳しさに欠けるとさえ言われたりする。
ケガというまでの話でなくても、技などの得手不得手の部分で、自分有利に、相手の不得手を突いて勝とうとすることは、常道であろう。

以前、めったに見ないテニスを見ていて、ラリーをしながら、互いに相手が着いていけない場所、相手のいない方向にボールを打とうとするのを、一面ずいぶん卑劣な話じゃないか、と素人ゆえに勝手に思ったりしたことがある。
しかし、互いに正面の打ち返しやすいところに打ち合っていたのではもちろん勝負にならない。
野球のピッチャーとバッターのかけひきだって、いかに相手が思っていないコース・球種を投げるかということだ。

こう考えてみると、スポーツに必ず伴う「勝負」というものと、スポーツマンシップというものの境界がどこにあるのか、興味深い。
私自身はほとんどスポーツをやらない。見る専門なので、自分ではよくわからない。

そんなことをあれこれ考えた。

ところで、荒川静香選手本人は、最後のスルツカヤ選手が滑る時に、「失敗しろ!」と思って見ていたのだろうか?