naokichiオムニバス

68歳、ヴィオラ弾き。ビール大好き。毎日元気。

千葉県勢の夏の甲子園

夏の甲子園で、我が千葉県勢は3回優勝している。

65年、銚子商が決勝に進出し、三池工に惜敗した。
この時、私は小学校4年生。野球のルールをまだよく知らなかった。
「ちかいの魔球」とか「黒い秘密兵器」とかの野球マンガは読んでいたはずだが、当時のあの手の作品は、試合の細かい展開などよりも、魔球、秘球の謎解きみたいな部分が中心だったので、ルールを学ぶにいたらなかったのだと思う。

当時の私は、三振というのは知っていたが、三振でなければアウトにはならないと思っていた。その三振も、空振りの三振くらいしかイメージになかった。
銚子商の最後のバッターは、フライを打ち上げてゲームセットとなった(センターフライと記憶していたが、週刊「甲子園の夏」を後日見たら、ファーストフライだった)のだが、私は、「よしよし、空振り三振じゃないから、まだ負けじゃないんだ」と思っていて、相手の野手がフライを捕球した瞬間、テレビの実況が「三池優勝」と叫んだので、「え~?」と思ったのをおぼえている。

その2年後、習志野が、中京や広陵といった強豪校を次々に破って、県勢初優勝。
私の家では、「次は中京か、じゃあもうだめだな」などと言いながら観ていたのだが、あれよあれよという間に優勝まで行ってしまい、びっくりした。
翌日か数日後が、夏休み中の登校日で、朝礼の時に、校長先生が、「みんなも観ていたと思うけど」と、習志野高校の話をした。

次の優勝は、74年の銚子商。大学1年の私は、さすがに野球のルールも一応はおぼえて、この優勝には感激した。

そして、翌75年、習志野が2回目の優勝。千葉県勢が連覇ということになる。
決勝の新居浜商戦の日は、高校のクラス会が開かれ、席上で大いに盛り上がったのだった。

結構、この時代、千葉県勢は強くて、決勝まで行かないにせよ、毎年いいところまでは勝ち進んだ。

75年の習志野を最後に、優勝はない。

92年に、久しぶりに拓大紅陵が決勝戦に進出した。千葉県勢であることに加え、木更津の高校だ。
テレビを観ていると、地元からの中継、ということで、木更津駅前に当時あった、そごうの店頭が映った。
この試合、0-1というスコアで、西日本短大付に惜敗。まったく惜しかった。

そして、00年、東海大浦安が決勝進出。浦安オケに入団していたこともあって、結構思い入れを持って応援した。
智弁和歌山との対戦だったが、相手が投手を3人有するのに対して、浦安は浜名投手1人。その差が出て、シーソーゲームになったが、6-11で敗れた。
試合中、弦インペクのN嬢と、「やったー、逆転」などと、試合が動くたびにメールのやりとりをしたのをおぼえている。N嬢の、「ずるいぞ、智弁も一人で投げろー」が、かわいくも可笑しかった。

最近は、この準優勝2回が最高成績だ。

しかし、私が秘かに誇りに思っていることが一つある。
04年、ダルビッシュを擁する東北を、3回戦で破ったのは、千葉経済大付なのだ。
前の記事に書いた、73年の夏、江川の作新学院を破った銚子商に並ぶ快挙だと思う。
今、日本のプロ野球を代表する投手に成長し、北京オリンピックでの活躍も期待されるダルビッシュだが、彼が好成績をおさめるにつけ、4年前、アテネの年に、彼の甲子園での道をはばんだのが我が千葉の高校だったことを、いつも内心嬉しく思っているのである。

さて、今年は、90回の記念大会ということで、千葉県は東西に分かれての予選。その千葉経済大付と木更津総合の2校が甲子園に行く。どちらも前評判は高い。頑張れ!

尚、春の選抜では、千葉県勢の優勝はない。準優勝2回が最高だ。
81年の印旛、95年の銚子商