naokichiオムニバス

68歳、ヴィオラ弾き。ビール大好き。毎日元気。

今日の野球談義

昨日3日、オリックスの清原が、約2年ぶりの1軍での打席(695日ぶりなのだそうだ。スポーツ新聞っていうのは、本当にものを数えるのをいとわない)。

報道によると、膝の回復は思わしくなく、ほぼ引退を決意しての1軍復帰らしい。
見込みがたったと言えない状況での、今の時期の復帰は、もしかすると、甲子園で高校野球が開幕したことと関係があるのかもしれない。原点にかえりたい気持ちがあって、踏み切ったのか。

桑田が引退。清原も、自分の「終わり」と、自分の原点である甲子園を重ねて考えているのかもしれない。

KKコンビのPL学園が登場したのは、83年の夏。四半世紀前だ。

その前年、82年の夏、そして83年の春は、徳島の池田が連覇していた。畠山準水野雄仁
3季連続優勝がかかった83年の夏。
池田高校は順調に勝ち進んで、準決勝の対戦相手がPL学園だった。

その年、私は、千葉の現場事務所に転勤し、総務担当の仕事をしていた。
この準決勝の日、仕事で銀行(パルコの角にあった住友銀行。今はもうない)に出かけたついでに、今はもうないセントラル・プラザ(現在、高層マンション建築中)に立ち寄ったのだが、そこで、中継のテレビを目にした。
本命の池田が、PLに0-6で負けていた。水野が打たれたのだった。
「これくらいのハンデがあった方が面白いぞ」と思ったのをおぼえている。

さすがに6点のビハインドは重く、池田はそのまま敗れた。
これが、あのPLの黄金時代の始まりだとは、その時は思ってもみなかった。

今に至るまで語り継がれるKKコンビだが、桑田、清原が同学年で甲子園を5季戦えたのは、ほんの僅かな差での偶然だ。
桑田は4月1日生まれだ。4月1日生まれだったから、清原と同じ学年になれた。1日遅く生まれていたら、清原の1年後輩だったのだ。

四半世紀が過ぎ、桑田は既に引退。そして、清原は引退の瀬戸際にいる。
桑田の子息は、桜美林の野球部でプレイしている。
25年というのは、そういう歳月だ。

高校野球つながりの話題。
今日、77歳の木内監督率いる常総学院が、初戦敗退した。
84年の夏、取手ニ高を率いて、KKコンビのPLを破って優勝した木内監督。
その時の取手ニ高のエース、石田投手は、先月41歳の若さで病死した。
ここにも、歳月の流れ、そして人の縁、出会い、別れがある。

話は変わって今日のプロ野球

中日の山本昌が、史上最年長での200勝を達成。
王手をかけてのナゴヤドームでの登板。対戦相手のジャイアンツとしても、致し方なかったところか。
それにしても、史上最年長でありながら、完投での記録達成はすごいことだ。

桑田は、とうとう200勝に手が届かなかった。あの、95年の阪神戦でのダイビングキャッチがなかったら・・・。

そして今日は、甲子園の第4試合で、千葉経済大付が、近大付をふりきった。
木更津総合とともに、千葉県勢が初戦突破。楽しみな甲子園になった。