1月に母方の伯父が亡くなったが、今度は父方の伯母の訃報。
父の兄の配偶者だ。
伯父は、その伯母と結婚して間もなく出征し、戦死した。
父の実家は、木更津で玩具商をやっており、伯母は、一粒種の娘を抱えて、夫の死後も舅姑に仕えながら、店で働いた。
父の実家は、私の家からは歩いて10分もかからないところにあり、子供の頃は、よく遊びに行ったものだった。
店は主に祖母と、別の伯父が切り盛りしていた。
今回亡くなった伯母は、店頭でいつも忙しく立ち働いていたが、本当に可愛がってもらった。
今回亡くなった伯母は、店頭でいつも忙しく立ち働いていたが、本当に可愛がってもらった。
おもちゃ屋、という空間は、子供の私にはもちろん魅力のあるもので、目移りするような店頭のおもちゃの数々の中から、「これ」とねだると、伯母がこっそりそのプラモデルなどを持たせてくれたものだ。
今は、その店もたたんでしまい、伯母は、娘たちと老後を過ごしていた。
最後に会ったのは、いつだったか。
もう何年も前の、お盆の時だったと思うが、私が実家にいた時に訪ねてきたことがあって、ちょっとだけ話した記憶がある。
もう何年も前の、お盆の時だったと思うが、私が実家にいた時に訪ねてきたことがあって、ちょっとだけ話した記憶がある。
つい3週間前、父母と食事をしていた時に、伯母が心臓の具合を悪くして入院したと聞いた。
可愛がってもらった伯母なので、一度は見舞いに、と思っていたが、ついつい時間がとれず、先延ばしにしてしまっていた。
今日の土曜日こそは行こう、と決め、母にその旨を伝えておいたのだが、その矢先、昨日、訃報を受けてしまった。
もっと早く行っていたら、と悔やまれる。
父と同じ干支で一回り上の94歳。
夫の戦死、嫁ぎ先の店に捧げた人生。
(28年前、祖母が亡くなった時、遺体にとりすがりながら、わあわあと大声で号泣したのは、実の娘でない伯母だった)
「戦争」というものに、大きく変えられた一生だったのだと思う。
夫の戦死、嫁ぎ先の店に捧げた人生。
(28年前、祖母が亡くなった時、遺体にとりすがりながら、わあわあと大声で号泣したのは、実の娘でない伯母だった)
「戦争」というものに、大きく変えられた一生だったのだと思う。
もう一度、会っておきたかった。