naokichiオムニバス

68歳、ヴィオラ弾き。ビール大好き。毎日元気。

甥の就職内定に思い出す自分の就職活動

昨日、会社帰りの電車の中で、甥(妹の長男)からのメールを受信。

某食品会社から内々定をもらった、とのことだった。

就活にがんばっている話は、妹から聞いていたが、そうか、決まったのか。

瞬間、自分自身の就職活動のことを思い出した。

私の就職活動は、1977年。大学4年の時だった。
先日書いたが、当時の就職協定では、会社訪問解禁が4年生の10月1日、採用試験開始が11月1日だった。

夏休みに両親と相談し、第1希望を国際電信電話(現KDDI)に定めた。同社の選考は、他社と異なり、11月1日の採用試験がスタートで、10月中の会社訪問は行われなかった。

そのため、10月1日は、真っ先に西新宿の安田火災海上(現損保ジャパン)に行き、以後、損保、生保関係を中心にまわった。

しかし、周囲の仲間たちが次々に内定をもらう中、私の就職活動は芳しく進まなかった。

第1希望の国際電信電話の採用試験にも失敗してしまい、困り果ててゼミの教官に相談したり、父の知人に企業を紹介してもらったりもした。

最終的には、大学の就職事務室で紹介された企業の中の一つだった、今の会社に採用してもらうことができた。

確か11月の半ばになっていたと思う。

この間、両親には本当に心配をかけた。就職が決まった時、父から届いた手紙に、ここまでずいぶん長く感じた、と書かれていたのをおぼえている。

私自身にももちろん今に至るまで忘れられない時期だ。

甥は、私ほどには親に心配をかけた就活ではなかっただろうと思うが、自分が親にかけた心配をふりかえる時、義弟と妹の安堵が想像できる気がした。

今、身を置いている建設業は、私の就職活動の中では、最後の最後まで視野にはなかった。
入社当初は、その意味での違和感がなかったわけではないが、ともかくも35年、元気で働かせてもらっているのだから、もちろんこれで人生よかったと思っている。

甥も、来年の春からは新しい人生が始まる。あと1年弱、学業をしっかり修めて、社会に出る準備をしてほしいと願う。