昨日、会社帰りの電車の中で、甥(妹の長男)からのメールを受信。
某食品会社から内々定をもらった、とのことだった。
就活にがんばっている話は、妹から聞いていたが、そうか、決まったのか。
瞬間、自分自身の就職活動のことを思い出した。
私の就職活動は、1977年。大学4年の時だった。
先日書いたが、当時の就職協定では、会社訪問解禁が4年生の10月1日、採用試験開始が11月1日だった。
先日書いたが、当時の就職協定では、会社訪問解禁が4年生の10月1日、採用試験開始が11月1日だった。
そのため、10月1日は、真っ先に西新宿の安田火災海上(現損保ジャパン)に行き、以後、損保、生保関係を中心にまわった。
しかし、周囲の仲間たちが次々に内定をもらう中、私の就職活動は芳しく進まなかった。
第1希望の国際電信電話の採用試験にも失敗してしまい、困り果ててゼミの教官に相談したり、父の知人に企業を紹介してもらったりもした。
最終的には、大学の就職事務室で紹介された企業の中の一つだった、今の会社に採用してもらうことができた。
確か11月の半ばになっていたと思う。
この間、両親には本当に心配をかけた。就職が決まった時、父から届いた手紙に、ここまでずいぶん長く感じた、と書かれていたのをおぼえている。
私自身にももちろん今に至るまで忘れられない時期だ。
甥は、私ほどには親に心配をかけた就活ではなかっただろうと思うが、自分が親にかけた心配をふりかえる時、義弟と妹の安堵が想像できる気がした。
今、身を置いている建設業は、私の就職活動の中では、最後の最後まで視野にはなかった。
入社当初は、その意味での違和感がなかったわけではないが、ともかくも35年、元気で働かせてもらっているのだから、もちろんこれで人生よかったと思っている。
入社当初は、その意味での違和感がなかったわけではないが、ともかくも35年、元気で働かせてもらっているのだから、もちろんこれで人生よかったと思っている。
甥も、来年の春からは新しい人生が始まる。あと1年弱、学業をしっかり修めて、社会に出る準備をしてほしいと願う。