naokichiオムニバス

68歳、ヴィオラ弾き。ビール大好き。毎日元気。

父の他界から間もなく1ヶ月

父が他界して間もなく1ヶ月になる。この件について、少しだけ書いておきたい。

木更津の実家では、私と妹が独立して以後、父と母が2人で生活していた。
認知症が進行する父を、母が支える生活だった。

その母が、突然倒れて亡くなったのが、2009年10月のことだった。79歳だった。

父の生活をどうするか、介護保険のケアマネージャーさんにご相談し、市内の施設に暫定的に受け入れていただくことになった。

直後、市内外の5施設に入所の申込をして、空きを待った。

その後、市内のグループホームに空きができて移転。
さらに、昨年3月に市内の特別養護老人ホームに移り、ここが父の終の棲家となった。

特養は、施設内で医療が提供される点、何かの時には大変心強い。
加えて、この特養には、実家の近くで内科医を開業するH先生が提携医として出入りしておられた。
先代の院長である、H先生の父上は、父の親しい友人でもあり、古くから私も含めて家族一同がお世話になってきた。
そのご子息に父の面倒をみていただけることは、我々家族としては何よりのことだった。

父は、認知症の進行はあるものの、それ以外に持病はなく、スタッフの皆さまによくしていただきながら、平穏に生活していた。

6月30日(日)。

昼前、いつものようにオケ練に向かうべく家を出て、最寄り駅のホームに上がったところへ、H先生からの電話連絡。
朝食後、父に変調があったとのことだった。

オケ練は急遽欠席し、一旦家に戻って楽器を置き、木更津に向かった。
東京から妹も呼んだ。

この時は大事には至らなかったが、H先生のお話では、高齢による衰えからくるもので、これといった手立てはないとのこと。
時間の問題、ということか。覚悟は決めておかなければ、と思った。

その時が、1週間後なのか、1ヶ月後なのか、以後の推移が見えない状況だったので、参加予定だったユニ響(津田沼ユニバーサル交響楽団)の9月の演奏会は、辞退することにした。

4日後、7月4日(木)。

会社から帰宅したところへ、H先生から電話。
厳しい状況にあるとの話に、木更津へ急いだが、間に合わなかった。
20時41分、87歳5ヶ月での他界だった。

6日(土)、通夜。7日(日)、告別式、納骨。

そして、この週末、8月3日(土)には、四十九日と新盆の法要となる。
あっという間の日々だったが、何とか色々な対応はできた。

4年前、母の時は、直前まで元気だったのに本当に突然だったので、驚きも動揺も大きかった。
息子にとって、母親の死がとりわけこたえた面もあった。

しかし、今回については、心の準備もあったし、母の時の経験もあったので、基本的に冷静に対処できたと思う。

色々あったので、いささか疲れが出てきてはいるが、週末の法要、そして新盆を済ませれば、とりあえずの区切りはつく。

ふりかえると、私が施設に顔を出すのは、1~2ヶ月に1回程度だった。
それは、会っても私が誰であるかはわかってもらえず、会話もなりたたない状況だったこともあるが、今になってみれば、もっと顔を見に行けばよかった、とも思う。

ただ、最後に会った6月30日は、2時間半くらい滞在した。
朝食後の変調から持ち直した父の手を握って、伝わらないながらもあれこれ声をかけたその時の時間は、今となっては貴重だったと思う。

それにしても、母を送り、父を送る経験の中で、つくづく思うのは、そうした局面において、いかに多くの方の善意に支えられ、お世話になってきたか、ということだ。

ケアマネージャーさん。
各施設のスタッフの方々。
そしてもちろんH先生。

これらの方々のお力がなかったら、とつくづく思う。

今年2月、父の87歳の誕生日。
数えで言えば米寿。お祝いをしようと思ったが、たまたまその時期は、インフルエンザ等の感染症防止のため、面会が禁じられていた。
お菓子を送り、スタッフの皆さんで祝ってやって下さい、という手紙を添えた。

その後、面会が解禁となって行った時、「祝!!87才 お誕生日おめでとうございます」と書かれた色紙が部屋に置かれていた。スタッフの皆さんが寄せ書きをして下さったものだった。
また、6月16日(日)の父の日にも、花束を持った父の写真を撮って、飾って下さっていた。

先週、27日(土)、施設へ行って、挨拶と諸費用の精算。そして、H先生の内科医院も訪ねて挨拶。

施設の相談員さん、H先生と改めて話して、本当に、人の心の暖かさが重ねて身にしみた。

来年2月までがんばってくれたら、満で米寿。その点は少し残念だが、苦しむことのない静かな大往生は、幸せだったと考えている。

母に続いて、とうとう父もいなくなったことには、それなりのさみしさがある。
しかし、頼るべき親はもうなく、これで本当に我々の世代が色々やっていかなければならないのだ、と身の引き締まる思いの方が強い。

1日、1日を大切に、元気でできるだけ長く生きなければ。

※関連の過去記事
    母の急逝
       http://blogs.yahoo.co.jp/naokichivla/60379607.html
    第22回浦安市民演奏会本番終了<4> 個人的な特別の思い
       http://blogs.yahoo.co.jp/naokichivla/60654293.html