3月29日(日)をもって、田町にあるボウリング場、「田町ハイレーン」が閉店したと、報道で知った。
いささかの感慨があった。
もう四半世紀ほど前、同業の労働組合の協議会の活動に関わっていたことがあり、その協議会のレクリエーション行事として、各社の組合対抗のボウリング大会を、確か年1回開催していた。
その会場が、田町ハイレーンだった。
協議会議長という立場だったため、ボウリングが得意でも何でもないのに、始球式をしなければならないことになった。
満場の参加者が見守る中で、「ガーターになったらどうしよう。それも笑いを取れるからまあいいか」などと思いながら投げたら、7本だか8本だか倒すことができて、大いに安堵した思い出がある。
私は、生活の中でボウリングをすることがほとんどないので、この田町ハイレーンには、そうした行事以外に行った記憶はないが、東京モノレールに乗ると車窓から見えたし、テレビのバラエティ番組などでボウリングを取り上げる時には、たいていここが使われていたので、その後もその存在は意識することが多かった。
その田町ハイレーンが閉店。やはり一抹のさみしさを感じる。
そして、これも報道で、3月30日(月)に、成田空港の検問が廃止されたことを知った。
このニュースにも、また感慨があった。
別に、頻繁に海外旅行をしているわけではないから、この検問所をたびたびくぐっているということではない。
この検問所を作る工事に従事したことがあるのだ。
この検問は、1978年の開港から、30日の正午まで続いてきたものなのだそうだ。
その1978年に、今の勤務先に入社した私は、新入社員の現場研修で成田空港の工事に1ヶ月ほど従事した。
同期の仲間が2班に分かれ、管制塔近くの駐車場や、空港を周回する警備用道路の工事に携わった。
そして、その研修の後半に、検問所の工事現場で作業することになった。
この検問所の現場では、工期の都合だったと思うが、1日だけ夜間作業を行うことになった。
確か、この夜間作業の写真が、開港間近の新空港を伝える新聞記事に載ったと記憶する。
それから、作業の合間に、事務所の総務担当の社員が、夜食(確かパンだったか)を届けに来てくれたのだが、現場の総務担当というのは、こういう仕事もしなければならないんだ、と思ったのをおぼえている。
その後、たまに成田空港に行く機会があって、検問所を通る時は、新入社員の時に、ここで仕事したんだよなあ、と思うのが常だった。
37年続いた検問の廃止には、やはり思いがある。