12月30日(月)、2024年をもって引退される井上道義さんの最後の演奏会を聴きに行った。
2024年は38の演奏会を聴きに行った。この日が聴き納め。
(他に体調不良等の事情で行けなかった演奏会が3つ)
●第54回サントリー音楽賞受賞記念コンサート 井上道義(指揮) The Final
日 時 2024年12月30日(月) 14:20開場 15:00開演
会 場 サントリーホール 大ホール
指 揮 井上道義
曲 目 メンデルスゾーン 序曲「フィンガルの洞窟」
ショスタコーヴィチ 祝典序曲
[アンコール]
ショスタコーヴィチ バレエ組曲「ボルト」 第3曲「荷馬車引きの踊り」
武満 徹 「3つの映画音楽」 第3曲「ワルツ」(映画「他人の顔」)
井上道義という指揮者を知ったのは、半世紀以上前、高校時代。読み始めたばかりの「レコード芸術」に、井上さんが指揮したレコードの広告が載っていたのを見たのが最初だ。確かトリオ・レコードからの新譜で、ザルツブルク・モーツァルテウム管弦楽団を振ったモーツァルトではなかっただろうか。そのへんの記憶は曖昧だが、その広告で見た、眼鏡をかけた長髪の井上さんが煙草を吸っている写真はよく憶えている。
当時私が一番注目していた日本人指揮者は小澤(征爾)さんだったが、それより若い世代の指揮者がレコード界に出てきたのだ、と思ったものだ。
ただ、井上さんのレコードをあれこれ買ったわけではなく、演奏会を聴きに行ったわけでもなかった。
(1981年に、小澤さんのマーラーの6番(とアルゲリッチとのシューマンのコンチェルト)が聴きたくて、新日本フィルの定期会員になった時に、そのシーズンの演奏会の1つが井上さんの指揮だった。これも記憶が曖昧だが、曲目はバッハの管弦楽組曲とサン=サーンスの3番とかではなかったか)
井上さんのその後の活躍はもちろん知っていたものの、近年まで演奏会を聴くことはないまま過ごしてきたのだが、2017年1月に新日本フィルのオール武満徹プロ、7月に大阪のフェスティバルホールで聴いたバーンスタインの「ミサ曲」は、井上さんの指揮だった。ただ、これらは曲で選んだ演奏会という面が大きい。
2019年3月に佐治薫子先生のお誘いで千葉県少年少女オーケストラの演奏会を初めて聴きに行ったが、この時の指揮が井上さんだった。演奏のみならず、MCでその人柄にふれた。それを機に井上さんの演奏会に意識的に時々足を運ぶようになった。
2021年5月に東京都交響楽団とのサティ「パラード」、サン=サーンスのヴァイオリン・コンチェルトと3番シンフォニー。
引退の2024年は、3月に新日本フィルとのマーラー3番。そして千葉県少年少女オーケストラの公開リハーサルと定期演奏会。
(8月には新日本フィルとのマーラー7番が予定されていたが、井上さんの体調不良でジョナサン・ノットが代わって指揮。残念だった)
今回のファイナルコンサートは、確か当初のインフォメーションでは、ベートーヴェンの5番と6番のプログラムだった。その時点では、12月30日と押し詰まった時期に聴きに行くのも、と二の足を踏んだのだが、曲目変更でシベリウスとショスタコーヴィチが聴けることになったので、やはり行こうとチケットを買い求めた。
(秋に各地で演奏された「ボエーム」は何とか行きたかったのだが、都合が合わず残念・・・)
プログラム冊子から。
この演奏会は、「第54回サントリー音楽賞受賞記念コンサート」というタイトルがついている。ただ、井上さんが受賞したのは2022年度。
さて、私の席は2階C1列6番。センター下手寄りの最前列だが、すぐさま買ったわけでもないのに、よくこんな良い席が取れたものだ。
オケは対向配置で、ヴィオラが下手側に来る形。チェロとコントラバスは上手側。
弦は10・8・6・4・4。
指揮台は置かれていない。
「フィンガルの洞窟」。
しっとりと落ち着いた演奏だった。
「田園」。
ファーストヴァイオリンが2人、コントラバスが1人退席し、8・8・6・4・3の小編成になった。ティンパニやトロンボーンの奏者がいないのに気がついた。途中で出てくるのか。
オーケストラの周縁部の照明が少し落とされた。
1楽章は、コンパクトで軽い音楽。
2楽章は、それより少し豊かな響きになった。いいテンポの小川の流れ。楽章の最後だけゆったりしたテンポになった。
3楽章。主部が終わって4分の2の中間部に入ったところで、上手側から6人の奏者が登場し、ヴィオラ、コントラバスの後ろに、横1列で設置されていた椅子に座った。
6人は、左から順に、ティンパニ、トランペット2人、トロンボーン2人、ピッコロ。メンデルスゾーンではティンパニは中央奥だったが、上手側にも楽器が置かれているようだった(私の席からは見えず)。この曲でピッコロが木管群と全然違う場所に座るのは初めて見る。この6人をバンダのように扱っている感じだった。
4楽章でピッコロ始めこのバンダ隊が活躍。ティンパニはとても固い音だった。引き続きコンパクトではあったが、引き締まってそれなりに迫力を感じさせる嵐だった。
5楽章に至って、それまでの4つの楽章とは違って、あふれ出るような響きになった。感謝の感情がこもった、ぐっとくる演奏だった。
全曲を通じて、セカンドヴァイオリンが活躍する曲であることが、対向配置のおかげでよくわかった。
20分の休憩。
ホワイエにはたくさんの花が飾られている。
黒柳徹子さんからも。
黒柳さんはこの日客席にもおられたそうで、終演後のパーティーにも参加されたとのこと。
↓ この写真は、井上さんのFacebookページから借用しました。
ホワイエではCDも売られていたが、せっかくなので、2007年のショスタコーヴィチ交響曲全曲演奏会のアルバムを買った。
席に戻って見ると、指揮台が置かれている。
弦楽器の椅子は増えており、対向配置ではなくなっていた。
目分量で16・14・12・12・8くらいか。ヴァイオリンの配分がよくわからなかった。
シベリウスの7番。
この曲だけ指揮棒を持っての指揮だった。
やはりいい曲だと思った。それだけ。
オケは人数も増えて前半とは全然違ってめいっぱい鳴っていた。
この曲を井上さんの指揮で聴けてよかった。
井上さんはこのところの病気のせいだろうか、ずいぶん痩せた印象で、ここまで舞台袖から指揮台への行き来も、ちょっと辛そうな歩き方に見える時があった。
しかし時に踊るような独特の指揮ぶりは健在。
最後はショスタコーヴィチの「祝典序曲」。
引退の最後の最後にショスタコーヴィチを持ってきたわけだ。
曲の前に、ステマネらしき人が何か持ってきて指揮者の譜面台に置いた。スコアではないようだ。遠目に見た感じ、シンバルか? どこかであれを井上さんが鳴らす演出か? と思いながら待つ内、曲が始まった。
まさに井上さんの本領、と言うしかない演奏だった。
曲の終盤、2階席の左右と奥に3群に分かれたバンダが現れて、盛大に吹き鳴らした。計30人の編成だったと聞いた。
(2019年に浦安シティオーケストラでこの曲を演奏した時には、ステージ左右に計13人のバンダを配置したが、その倍以上)
最後の最後の音で、やはり井上さんが譜面台のシンバルを手にして客席にサインを送るようにして打ち鳴らすと、音が消えて終わるずっと前から万雷の拍手と大歓声。
↓ この写真も井上さんのFacebookページから。
カーテンコールは写真撮影可とされていた(動画はNG)。
バンダ。
その後、マイクを持ってMC。手にしていたのは、2007年の全曲演奏会の時のアンケートの束らしく、「あの時、日比谷(公会堂)に来てくれた人、手を挙げて」。
「馬車馬のように働いてきました。もう働かないけど、この皆さん(オケ)はまだまだ馬車馬のように働きます」と言った後、「下品でっせ!」と言って、アンコールの「ボルト」を演奏した。私は知らない曲だったが、きっとショスタコーヴィチらしいとはわかった。
「もう何も言わないよ」。「さよなら」。
カーテンコールを重ねた後、井上さんが促してオケを退場させた。そこからは井上さんだけが出入り。
このまま終わりと思ったら、その内、オケを呼び込み始めた。
「武満!」と叫んで演奏されたのは、武満は武満でも、「3つの映画音楽」のワルツだった。何とも言えない味わいのある音楽だった。弦中心の小編成。演奏に参加しない楽員もまわりで見ていた。
途中、足元に置いてあった花束の中から赤い花びらをつかみ出して、虚空に投げ上げるパフォーマンス。
(後で調べたら、2017年に聴いたオール武満プロの演奏会でも、最後の最後にこのワルツが演奏されていた。井上さんにとって思いのある音楽なのだろう)
最後に花束を客席に放り投げたが、その時に足がつったようだった。パフォーマンスでなくマジにつったらしい。
痛そうに歩いて退場。
再度オケがステージからはけ、井上さんだけの出入りとなったが、「もう酒を飲むから」と言うような仕草を見せ、さすがにお開きとなった。
総立ちの客席が帰り始めたのは17:19だった。
聴きに来てよかった。
井上さん、お疲れさまでした。引退されても末永くお元気で。
※井上さんのオフィシャルサイトから。終演後のパーティーには佐治先生も参加されたようだ。