naokichiオムニバス

68歳、ヴィオラ弾き。ビール大好き。毎日元気。

石原裕次郎二十三回忌

石原裕次郎の二十三回忌。

国立競技場に熊谷組が寺を建てて今日行った法要の模様を、録画で観た。

観ていて思ったのだが、石原裕次郎という人は、これだけの国民的スターでありながら、国民栄誉賞をもらっていない。

これって、少なくとも石原裕次郎ファンにとっては、相当な無念だろうし、もしかすると、まき子夫人や石原プロも同じように感じているかもしれない。
そう思った。

今、調べてみたら、石原裕次郎が没した時点で、国民栄誉賞の受賞者は6人。
直前の6人目の受賞者は、石原裕次郎死去の1ヶ月足らず前、プロ野球衣笠祥雄選手だった(通算連続試合出場世界記録)。

つい先日の、森光子で、受賞者は17人。
まだ受賞者が6人しかいなかった状況で、当時の中曽根首相としても、相次いでの授与には踏み切れなかったのだろうか。政権末期だったことと関係があるのかもしれない。

国民栄誉賞の話のついでに書くが、私は、個人的には、長谷川町子国民栄誉賞をもらいながら、どうして手塚治虫がもらえなかったのか、と、今もって悔しい思いをしている。

「日本のディズニー」と言ってよい人だけに、本当に残念だ。

石原裕次郎に話を戻すと、若手俳優として映画界に衝撃的な登場をした頃の石原裕次郎を、私は知らない。

私にとっての石原裕次郎は、どちらかというと歌手としての活動の方がウェイトが大きい。
「夜霧よ今夜もありがとう」は、私が小学生の時だが、テレビの歌番組で初めて聴いた時のことは、よくおぼえている。

俳優としての石原裕次郎は、私の場合、「黒部の太陽」に尽きる。
68年公開の映画だが、当時、父と木更津の映画館で観た。
映画を観た帰りに、どこかの店に入って、ジュースか何かを飲ませてもらったのだが、その時に、父が、「ああいうのが、男の世界ってもんだなあ」と言ったのをおぼえている。
後年、自分が建設業界に就職するとは、夢にも思っていなかった。

黒部の太陽」は、今もって、テレビでも放映しないし、映像ソフトも市販されていない。
石原裕次郎自身の意向らしいが、何とかならないものか。
今回の節目に、石原プロに決断してもらえればと思うのだが。