naokichiオムニバス

68歳、ヴィオラ弾き。ビール大好き。毎日元気。

25年、「銀」。

1985年10月13日(日)。快晴。
竹橋の如水(じょすい)会館で、挙式披露宴の後、夕方の新幹線で京都に向かった。

あれから丸25年。「銀」に到達。

早いものだ、という感じはしない。やはり25年と言えば、その間色々あったから長かったなあ、というのが実感だ。

四半世紀、だもんね。

この間にあったことを挙げ出せばきりがないが、仕事については、当時、千葉で現場の総務担当をやっていたのが、その後、本社の営業企画部に異動し、総務部、労働組合専従、企画部と動いた後、品川勤務、本社に戻って人事部、1年だけだったが社外への出向、また営業企画部に戻り、再度の品川勤務、そして今年から本社の内部統制部。

11回異動があったが、勤務地は千葉と東京だけだから、転居はしていない。
今のマンションに住んで、同じく丸25年ということだ。

あと、家庭内のことは別にして、自分自身の生活面で大きかったのは、何と言っても1995年の浦安オケへの入団、つまりヴィオラ演奏への復帰だ。
16年のブランク。もう楽器は弾かないだろうと思っていたのだが、これで生活は一変した。
どれだけ人生が豊かなものになったか、計り知れない。

それから、2005年のブログ開設。来週には丸5年になるが、生活の核の一つに数えられる。

家の中では、どの家でもそうだろうが、大小色々なことがあった。
やっぱりそれなりには波瀾万丈な面もあったと感じる。

しかしまあともかく、妻あってこそ、と、25年経った今日、改めて思っている。

自分の父母が年齢を重ねる中で、子供として、還暦や古希、喜寿などのお祝いはしてきたのだが、今から6年前、父母が結婚50年を数えた時には、つい気がつかずに過ごしてしまった。
このことは、私の中では大きな悔いになっている。
また、ふりかえって、その25年前も、そんな意識がないままに終わったような記憶がある。

我々の場合、子供を持つことがなかったので、そんな期待自体ができないが、ともかくも25年、無事に過ごしてきたことを、今日は自分たちで喜びたい。

・・・と言いながら、フツーに夕食をとりながら、Qさま!!の録画を観ました(笑)。