naokichiオムニバス

66歳会社員。ヴィオラ弾き。ビール大好き。毎日元気。

昔はなかったもの~パソコン<5:1990年代まで①>

デスクトップからラップトップパソコンへ

1984年の初め、千葉の工事事務所でパソコンに出会った。
この事務所で、ワープロソフト「松」を独学で習得し、一応、パソコンというものに慣れることができた。

1987年の春、定期人事異動で、4年間勤務した事務所を離れ、本社に転勤することになった。

以後、12年間、本社勤務となる。

この間、社内的にも個人的にも、パソコンの使用が充実していった。本社では、現場事務所と違って、パソコンユーザーが多かったので、お互いに教え合ったり情報交換することができた。

「昔はなかったもの」シリーズとして、この間、今はあるけど途中から出てきたものを含めて、1990年代末期までの、この本社勤務時代をふりかえる。

1987年4月に、入社10年目にして、それまでの経理の仕事から営業管理事務に転じた。

四半世紀前のその当時、営業部門のそのフロアには、従事者がおそらく50人か60人いたと思う。
しかし、それにもかかわらず、フロアには、デスクトップパソコンが1台あるだけだった。
本社といえども、パソコンの使用状況はそのようなものだったのだ。
(但し、ワープロ専用機はあった。キヤノンのキヤノワードだった)

一応、千葉の事務所でワープロソフトだけはおぼえていたので、そのパソコンはそこそこ使ったと記憶する。

同時期に同じフロアに転勤してきた先輩が、その前の職場でパソコンに習熟していた人で、その先輩が持ち込んできたアプリケーション・ソフトが、日本システム開発の「MyCalc(マイカルク)」というものだった。

これは、データベースと表計算を兼ねたような機能を持っていて、私も教えてもらいながら使うようになったが、なかなか便利なものだった。

その先輩が、営業部門におけるパソコンの伝道師みたいな役目を担い、「松」と「MyCalc」の2つを、フロア内に浸透させていく形になった。私も手伝った。

その過程で、デスクトップ1台ではとても足りないということになり、ラップトップパソコン数台を買ってもらった。
(まだノートパソコンというものはなかった。今のノートパソコンの倍くらいの大きさで、重たくて、モニター画面もカラーでなく、黒地にオレンジ色の文字が出るものだった。その後、会社ではノートパソコンが導入されるが、その初期の機種、NECの98NOTEは、やはり青い単色のディスプレイだった)

ところで、前の記事で、フロッピィ・ディスクのことを書いたが、3.5インチのフロッピィを初めて使ったのは、このラップトップパソコンで、だった。

それまで使っていた5インチのものが、ペラペラで薄っぺらだったのに比べ、3.5インチのものは、プラスチックのカバーにガードされていて、しっかりした印象だった。

ドライブに差し込んで使った時も、カシャカシャとはっきりした作動音がして、何やらそれまでのフロッピィよりも高級に感じられたものだ。

ラップトップパソコンの導入を機に、自分の机にそのラップトップを1台置かせてもらって、自席でパソコンをいじれるようになった。

既に当時、「近い将来、パソコンは1人に1台の時代がやってくる」と言われていたが、私の会社においては、まだまだ夢物語のように思われた。

ラップトップもプリンタに直接接続

この時代、LANというものはまだなかった。

自席でラップトップパソコンを使って作業をしても、それを印刷しようと思えば、共用のプリンタのところまでパソコンを持って行って、ケーブルでつないでいたわけだ。

今からすると、面倒なことをしていたものだと思うが、当時はもちろんそうするしかないわけで、不便だとか感じることはなかった。

ちなみに、前の記事でふれた、プリンタバッファというものを実体験して感激したのは、この職場でのことだ。

「MyCalc」の消滅

日本システム開発の「MyCalc」は、私がワープロソフト以外でおぼえた初めてのアプリケーション・ソフトだった。

当時いた営業部門では、これを使って仕事をすることが標準とされたこともあって、習熟した。

便利なソフトだったので、プライベートでも愛用した。買ったレコード(CD)のリストもこれで作ったりした。

ただ、「松」同様に、このソフトはMS-DOS止まりに終わり、日本システム開発は、Windows対応版を作らなかった。

そのため、業務上は、両者とも、別のソフトにシフトしていくことになる。

そんな状況にあって、私はプライベートでは「MyCalc」を使い続けた。既にハードはWindowsになっているにもかかわらず、MS-DOSのパソコンを併用しながら。

結局、実に2002年まで使い続けた。15年使ったことになる。

ただ、この2002年に、データを保存していたフロッピィ・ディスクが破損し、データを失うという事故に遭った。その時に、日本システム開発に電話する機会があったが、会社はまだ存在したものの、ソフトを開発した技術者は既におらず、サポートも受けられないと聞いた。

失ったデータは泣く泣くあきらめ、以後はもうこのソフトは使わないことにして、Excelにシフトした。

結局、私のパソコン歴の初期におぼえた、「松」、「MyCalc」とも、OSのWindowsシフトに対応せず、消えてしまった。

こういう経験をすると、蓄積したデータの活用も、アプリケーション・ソフトあってのこと、と痛感する。

現時点で私が使っているソフトは、Excel、Word、一太郎、そしてInternet Explorerだ。エディタは「秀丸」。
(プライベートのメールは、Windowsメール)

一応は、現在、スタンダードと呼ばれるものなので、当面は安泰かと思うが、長期的にはどうだろう。
私がパソコンを扱うのはあと何年くらいだろう。15年? 20年? その間は、大きな消長がないように祈りたい。