naokichiオムニバス

68歳、ヴィオラ弾き。ビール大好き。毎日元気。

努力と欲

NHKで、長嶋茂雄氏と王貞治氏の対談を放映したのを観た。聞き手は星野仙一氏。

選手、監督、そして日本代表監督としての両氏の歩みをたどりながら、ご本人の口からコメントを聞く形で番組は進行。

選手としての実績を振り返って、長嶋氏は、「自分のことを天才だと思ったことはない。努力の人だと思う」と話した。

万人が天才肌のイメージでとらえている長嶋氏だが、自身としては、表面の華やかさの陰で、人には計り知れない努力を重ねた自負があるのだろう。発言を重く感じた。
(同じく天才と呼ばれた大鵬が、まったく同じことを言っていたのを記憶している)

それ以上に印象に残ったのは、王氏の、「自分を支えたのは「欲」だった」、との発言だ。
1本ホームランを打つと、次の1本、また次の1本を打ちたいという欲が、自分に数字を積み重ねさせた、という趣旨の言葉だった。

「欲」という言葉には、物欲、権力欲など、必ずしも良いイメージがないと思うが、自分の根幹にそれがあったと率直に語る王氏の言葉には、やはり重みを感じた。
それだからこそ、あれだけの成績が残せたのだろう、と。

おそらく、長嶋氏も王氏も、等しく努力の人だったのだろう。いずれ劣らぬ血のにじむ努力をしたからこそ、今になってもこうしてテレビ番組が制作される、「ON」という存在となれたのだと思う。

そしてまた、長嶋氏も王氏も、その努力は、等しく「欲」に支えられたものだったのだろう、と思う。

また、監督時代も含めて、野球人としての両氏からは、「勝つこと」へのこだわりも、等しく聞けた。

たぶん、この二人の根幹にあるものは、実は相似していたのではないか、と感じた対談だった。

あと、これも興味深かったが、王氏が「長嶋さんはとにかく特別な存在だった」、と繰り返し発言していた。
「同じチームの選手、他チームの選手、誰から見ても、長嶋さんは特別な存在だった」、と。

あの世界の王貞治から見ても、長嶋茂雄は特別な存在だったのか、と思ったし、当の長嶋氏が、「いやいや、そんなことは」などと、それに対して謙遜や否定をすることもなかった。

確かに、番組中で紹介された、長嶋氏の映像、殊に三塁手としてのプレイの姿は、空前絶後の存在感があった。
(だいぶ前に、何かのインタビューで、長嶋氏が、「「長嶋茂雄」をやっていく」のも大変なんですよ、と発言していた、と聞いたおぼえがある)

番組最後のナレーション。
「ONという夢、ONという運命、ONという人生」。

「ONという運命」、「ONという人生」。確かに。

観てよかった。