今回亡くなった伯母(母の姉)について、思い出は数知れない。
伯母、母の実家は木更津にある。5人きょうだいで、長兄は子供の頃に病没したが、女3人、そして男1人。今回亡くなった伯母が次女、母は三女である。母たちきょうだいは、とても仲が良く、実家に集まることもしばしばだったし、それぞれの家の行き来も頻繁だった。
夏休みになると、私と妹は母に連れられて、木更津から千葉の伯母の家に遊びに行くのが恒例行事だった。
伯母は、音楽教師で、72歳までは仕事をしていた。同じく木更津出身の佐治薫子先生よりは、少し上の年代になる。
私や妹が音楽が好きで、ピアノや電子オルガンを習ったりするにあたっては、母は伯母に色々相談したりもしていたようだ。
伯母の家でピアノを弾いてみせる私や妹を、子宝に恵まれなかった伯母は、目を細めて見てくれていたものだ。
中学の頃、私にはピアノの道に進みたい気持ちを持っていたが、そのことについても、母はその道の専門である伯母に相談したことがあった。
「今から、世界を股にかけるヴィルトゥオーゾになるなどは、とても難しいが、音楽大学に進んで、地元でピアノ教室の先生をやることはできるだろう」といったアドバイスだったと、母から聞いた。その後、両親との間では、色々と議論があったが、最終的には、ピアノの道は断念することになる。
高校に入って、私はクラシック音楽を聴くようになったが、このジャンルの音楽についても、たびたび相談に乗ってもらった。
ある時、これも母が、これから私がクラシックに親しんでいくにあたり、聴いておくべき曲があれば教えてやってくれ、と頼んだことがあり、ほどなく伯母に会った機会に、ブラームスのシンフォニー4曲のスコアを渡されたのを、今でも印象深く憶えている。どういう基準でのチョイスだったのか。何か説明されたかもしれないが、それは忘れてしまった。
演奏会に一緒に行ったことも、何度かある。
小澤(征爾)さんが、分裂前の日本フィルを連れて、千葉で演奏会をやったことがあった。たぶん、私が高校1年の時だろう。ベルリオーズの「ロメオとジュリエット」だった。「今や世界の巨匠が、千葉で聴けるんだから、ありがたいねえ」と、伯母が言っていたのを思い出す。
若杉弘=読売日響の「第九」を、やはり千葉で聴いたのも、同じ年のことだったと思う。
ピアノから遠ざかった私は、大学に入学してヴィオラを始めた。在学中の大学オケの演奏会を聴きにきてくれたこともあった。
当時の大学オケのヴァイオリンには、千葉の葛城中学校での伯母の教え子がいて、伯母と再会する機会もあったと記憶する。
大学卒業後、ヴィオラから離れてしまっていた私が、偶然の縁あって、今のオーケストラに入団し、楽器を再開したのが39歳の時。
以後、伯母も時々浦安まで演奏会を聴きにきてくれていた。
また、これもふとした縁で、同じマンションに住む者中心に、室内楽を楽しむようになった一時期があったが、ある時、メンバーと話していたら、ヴァイオリンのHさんとチェロのIさんが、千葉の緑中学校で、伯母の教え子だったことが判明した。
そのことを伯母に伝え、伯母の自宅近くのレストラン(今年8月に伯母と最後に会った時にも入った店)で、Hさん、Iさんと一緒に食事をしたことがあった。これもいい思い出である。
浦安オケに話が戻るが、伯母との数多くの思い出の中で、私自身にとって最も大きいのが、2009年12月の浦安市民演奏会の時のことである。
本番を2ヶ月後に控えた10月初め、母が突然他界した。決して小さくない衝撃を受け、オケの練習に復帰すること、本番に乗ることが考えられない状況だったのだが、そんな折に、伯母から電話があった。
「12月の演奏会は聴きに行くからね」。
母が亡くなった10月3日、その日の昼間、伯母と母は千葉で会っている。昼食を一緒にとり、姉との別れを惜しみながら、木更津に戻った母は、その日の夜、急死したのだった。
会ったばかりの妹の急逝に一番驚いたのは、伯母だったろう。仲が良かっただけに、最も嘆き悲しんでいたのも伯母だった。
私は、そんな伯母から背中を押され、ほどなく練習に復帰し、母の遺影を舞台裏の楽器ケースに置いて、本番を終えたのだった。
また、3年前に、市原市楽友協会の演奏会を聴きにきてもらったこともあった。バッハの「ロ短調ミサ」を演奏した。この時、合唱団に従兄(今回、伯母の訃報を伝えてくれた従兄。小田(和正)さんと東北大で同期)が参加しており、伯母にとって、甥2人が共演する舞台に接してもらう、貴重な機会となった。
ピアノからヴィオラへと、扱う楽器は変わったが、常に音楽と共にある私の人生にとって、伯母の存在は本当に大きい。
音楽というものがある豊かな人生を送れていることは、伯母のおかげでもある。
25日(火)の弔問、そして、27日(木)の通夜参列の折には、そのことへの感謝が、私にはまず頭にあった。
弔問時に従姉から聞いた話では、伯母は、エンディングノートを整えていて、遺影も、葬儀場で投影するスナップ写真も、場内に流す音楽も、すべて自分で決めていたそうで、驚いた。
通夜の際には、受付に立ったが、場内には、千住真理子さんのヴァイオリンが静かに流れていた。これが伯母のチョイスか、と思いながら聴いた。
72歳まで教職にあった伯母なので、教え子の皆さんが多数参列された。
人は死しても、人の心には残り続ける。そのことを、参列の皆さんから感じさせられた。
私自身も、伯母のことをずっと忘れずに生きていかねば、と思う。
昨28日(金)の告別式、火葬には、仕事の都合で参列できなかったのが悔やまれる。
伯母も今頃、母と久しぶりの再会を喜んでいるだろうか。
※伯母に関する過去記事
人の縁とは不思議なもので
http://blogs.yahoo.co.jp/naokichivla/39599162.html
ご近所アンサンブル 歴史的デビュー演奏
http://blogs.yahoo.co.jp/naokichivla/42736924.html
第22回浦安市民演奏会本番終了<4> 個人的な特別の思い
http://blogs.yahoo.co.jp/naokichivla/60654293.html
忙しい1日でした
http://blogs.yahoo.co.jp/naokichivla/62617838.html
伯母の著書に
http://blogs.yahoo.co.jp/naokichivla/62682544.html
伯母のお祝い
http://blogs.yahoo.co.jp/naokichivla/63029868.html
市原市楽友協会第35回市民コンサート本番終了
http://blogs.yahoo.co.jp/naokichivla/64030578.html
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