↑3番の愛聴盤、アバドとバーンスタインのそれぞれ旧盤。
私がクラシックを聴き始めたのは、高校の頃、今から34年前のことである。
今では考えられないことだが、当時、マーラーとブルックナーは、鑑賞の対象としてスタンダードなポジションにはなかった。
音楽としても非常に性格の異なる二人の作曲家だが、当時は「マーラー・ブルックナー」とひとからげに扱われていた。
一部には、「マーラーやブルックナーを聴く人間は変わり者」という空気さえあった。
私の高校には、古典音楽同好会というサークルがあった。
活動内容は放課後にレコードコンサートをやるというものだったが、その中核レパートリーがマーラーでありブルックナーだった。
音楽の専任教師でH先生という人がいた。この先生にはずいぶんかわいがってもらった。今でもご健在とのことである。
この先生がある日の音楽の授業で、「皆さん、マーラーとかブルックナーとかいう作曲家の曲を聴く人が増えているらしいですが、皆さんは、マーラーなんてわかりますか」と言われた。
言外に、自分はわからん、というニュアンスがうかがえた。
長く、オーソドックスなベートーヴェンやらシューベルトやらになじんできた先生にとって、マーラー、ブルックナーというのは、生意気ざかりで新しいもの好きの高校生が飛びついているキワモノに感じられたのかもしれない。推測だが。
そんな時代であったが、同じ若い世代に属していた私も、マーラーとブルックナーは気になる存在として意識していた。
今回はマーラーの話である。
一番最初にマーラーの交響曲との接点ができたのは、2番である。
私が高校2年生の時のことだが、日本の音楽史に今も残る、日本フィルの解散があった。
最後の演奏会は、小澤征爾さんの指揮で、この2番だったのだ。今でも語りぐさになっている演奏会である。同時期に、N響がサヴァリッシュの指揮で同じ曲を演奏したが、日フィルの方が熱い演奏だったと評判だった。
この演奏会の模様がFMで放送された。確か土曜の午後だったと思うのだが、学校から帰ってきて、スコアを見ながら聴いた。
これがマーラーの交響曲を具体的に聴いた最初だ。
秋に、ワルター=ニューヨーク・フィルのレコードを千葉で買った。
以後、高校時代に聴いたのは、「大地の歌」だった。
何故2番目がこの曲だったのか覚えていないが、これもスコアを買って、ワルター=ウィーン・フィルのデッカのモノーラル盤をよく聴いた。
他の曲は大学に入ってからになる。
大学1年の秋に、バーンスタインがニューヨーク・フィルと来日した。
この時に、2回聴きに行っているが、内1回が、マーラーの5番であった(前プロはバーンスタインの弾き振りによるK503のコンチェルト)。
70年万博での同じ演奏者の9番がすごかったという話は既に知っていたので、バーンスタインのマーラーの実演が聴けることに、私も相当気合いが入っていた。
演奏会は9月だったが、その前の夏休み、実家でスコアを見ながら繰り返しレコードを聴き、曲を覚えることに必死だった。
この時買ったレコードは、ワルター=ニューヨーク・フィルのモノーラル盤。
なんでバーンスタインのレコードを買わなかったのか、今になると不思議だが、おそらくワルターが廉価盤だったからだろう。
そうして聴きに行った演奏会は、やはり感激した。
以後、マーラーの交響曲や歌曲のレコードを順次聴いていくことになる。
交響曲全曲を揃えるに至ったのは結構遅く、27歳になっていた。7番が最後だった。
この間で忘れられないのが、3番との出会いである。
学生時代のことだ。
その日、私は小平市の下宿のすぐ近くに住んでいるホルンのKのアパート、T荘にいた。
何の用事だったか忘れたが、Kが外出し、しばらく留守番をすることになった。
レコードは好きに聴いていいからと言い残して出かけて行った後、一人でぼんやりしていた。
何となくFMをかけていたのだが、その時、「こんなに美しい音楽があるのか」と思う曲が流れてきた。
曲が終了してのアナウンスを聞くと、それがマーラーの3番で、私がひきこまれたのは第6楽章。
演奏はクーベリック=バイエルン放送響のレコードだった。
ある音楽との出会い方は色々だろうが、私にとってはこれまでの半世紀の人生で、これが一番鮮烈な体験である。
以後、レコードも結構買い集め、3番をやるといえば、演奏会にも結構通った。
これまでに買った3番のレコードの中で好きなものは、迷いつつ、まず、アバド=ウィーン・フィルの演奏。これは82年に出たレコードだ。
当時アバドのマーラーは好きで、出れば揃えていたが、ともかく自分の好きな3番であることと、オケがウィーン・フィルであることで、特に期待して買った。
その期待にたがわぬ名演で、オケの美感もすばらしいし、私にとっては今もってトップクラスの愛聴盤である。
しかし、個人的な思い入れからすると、初めて買った3番のレコードである、バーンスタインのソニー盤が捨て難い。
一番長く聴き込んだレコードである。特に、6楽章の終結のティンパニの深みのある音がたまらない。
この点ばかりは、その後聴いたどんなレコードも実演も及ばない。
後年、バーンスタインがグラモフォンにマーラー全集を再録音した際、当初のインフォメーションでは3番はウィーン・フィルを起用するとされており、大いに期待したのだが、実際には旧盤と同じニューヨーク・フィルになり、がっかりしたものだ。
私が3番で一番好きなのは、曲との出会いからして6楽章ということになる。この楽章はできるだけゆっくりしたテンポで演奏されるのが好きなのだが、アバド、バーンスタイン(いずれも旧盤ということになる)は、この点でも大変満足できる。
マーラーの交響曲は、ひところほど聴かなくなった。むしろブルックナーの方が聴く機会は多いかもしれない。
交響曲で好きなのは何番かと聴かれれば、2番か3番。どちらがベスト1か決めにくいが、強いてといえば3番か。
3番には、「マーラーらしさ」というものが、一番詰まっているように思う。
それに次いでは1番。これは、浦安でも3年前に演奏する機会があった。レコードもあれこれ聴いてきたが、一番聴いたのは小澤さんのグラモフォン盤あたりで、今でも聴くことが多い。
客観的には9番がきっと一番マーラーらしい傑作なのかもしれない。
この曲に思い入れを持つ人は多いようだが、私は苦手だ。
傑作だということには異論がないが、モツレクと同じで、暗すぎる。
気軽に聴こうという気になれないのだ。
その点では「大地の歌」も同様である。
自分の葬式でフォーレのレクイエムを流してほしい、という人が多いらしい。
私だったら、葬式では、3番の6楽章を流してほしい。
つい先日、久しぶりに3番を歩きながら聴いて(バーンスタインの新盤)そう思った。
それから、火葬の最中には、2番の5楽章を流してほしいと思っている。