さだ(まさし)さんの新作、「アオハル49.69」を聴いた。
日本のフォークソングのカバーアルバムだが、2曲目に、加山雄三の「旅人よ」が収録されている。「加山さんがいなければ自分は音楽をやっていなかった」と言うさださんだけに、この曲のレコーディングには感慨があっただろうと思う。
このことを機に、「加山雄三ベスト40」を久しぶりに聴いてみた。
君といつまでも
お嫁においで
恋は紅いバラ
夕陽は赤く
夜空を仰いで
夜空の星
霧雨の舗道
蒼い星くず
大空の彼方
別れたあの人
旅人よ
ある日渚に
二人だけの海
俺は海の子
白い砂の少女
美しいヴィーナス
幻のアマリリア
まだ見ぬ恋人
君のために
いい娘だから 等々
やっぱり名曲揃いだとつくづく思った。
加山雄三がブレイクしたのは1966年(昭和41年)だったと記憶する。最初に視野に入ってきたのは、他ならぬ「君といつまでも」だった。
一番の衝撃は、やはり、「自分で作曲して歌う」ということだった。それまでの歌謡曲は、プロの作詞家、作曲家、編曲家が作ったものを、プロの歌手が歌うものだという認識があった。
ところが、突如彗星のごとく現れた加山雄三は、元来歌手ではない俳優の身で、歌を作曲し、かつ自分で歌った。このインパクトは大きかった。
当時、シンガーソングライターなどという呼び方はまだなく、「自作自演」と呼んでいたものだ。今では犯罪事件とかでしか用いられない言葉だが。
家族で観る歌番組には毎回のように加山雄三が出るようになったが、母は必ずしも加山雄三(弾厚作)の作る楽曲を手放しで評価していたわけではなく、ある時、「やっぱり「君といつまでも」は、まぐれだったのかね」と言ったことがあった。
詳しい記憶はないが、確か、「霧雨の舗道」の「僕と手をつなぐ小さな手のひら」」や、「夜空を仰いで」の「僕はいつでも君の面影しのんで歌ってる」などのような、単純な音型を繰り返して長いフレーズを作るやり方が、母には気に入らなかったのだったように思う。それまでの歌謡曲にはない手法だったから。
そしてたぶん、母の中に、所詮俳優の余技なのだから、という思いもあったのではないかと思う。
(もっとも、すぐ後から出てきた荒木一郎は、同じく俳優が自分で歌を作って歌うパターンだったが、母は大いに気に入っていたものだ)
そんなことを思い出しながら、往年の数々の曲を聴いてみると、私には「霧雨・・・」や「夜空を・・・」を含めて、どの曲も得難い名曲だと感じられる。
改めて思ったのは、加山雄三の音楽的ルーツはどこにあるのだろう、ということだ。作曲が職業的専門家の仕事だったあの時代に、専門外の俳優が、どういう音楽的素養、どういう音楽の影響を受けて、ああいう数々の名曲を作れたのか、それが知りたい気がする。
その後に出てきたフォーク、ニューミュージック系のアーティストの多くは、ビートルズを始めとする洋楽にルーツがあるとされるが、加山雄三も同じなんだろうか。
私には、加山雄三の楽曲は、基本的に歌謡曲のテイストが濃く、あまり洋楽の影響があるようには感じられないのだが。
「走れドンキー」や「小さな旅」あたりの曲は、彼のあっけらかんとした声や歌と相まって、一見どうでもいい駄曲として扱われそうだが、このメロディには、やはり音楽的素養の深さを感じさせる面白さがあると思う。
とにかく、どの曲をとってもいまだに古びるところのない、エヴァーグリーンだと思う。
近年、病気もされたが、先日、文化功労者に選ばれた。まだまだ元気で活躍してほしいと思う。
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