今月に入って、ちょっと気が向いて、グレープのアルバムをウォークマンで聴いてきた。
わすれもの
せせらぎ
コミュニケーション
三年坂
グレープの活動は、約3年。
その後、さだ(まさし)さんは、ソロとして40年以上活動しているわけだが、改めて聴き直してみると、グレープの音楽にはやはり特別なものがあると思う。
若書きのみずみずしさ。
完成度はまだ必ずしも高くはないが、若書きならではの得難い魅力。
解散後、半年後に発表されたソロとしての第1作、「帰去来」になると、早くも既に大家の雰囲気があり、完成度が大幅に違うと感じる。
グレープを聴いていた時代、19歳、20歳だった自分を思い出す。このことも、グレープの音楽に特別なものを感じる理由かもしれない。自分自身の青春の思い出、という側面だ。
それにしても、今さら言うことではないが、グレープの楽曲は暗いものが多いね(笑)。
この時代のフォーク・ソング、他のソロシンガーやユニットも、同じような感じの暗い曲が多く、時の聴衆にそういう嗜好ないしは需要があったのだと思う。かぐや姫とかもそうだし。
でも、その中でも、これだけ並ぶとグレープの暗さはきわだってるな。
さだまさしという人が、暗い曲を書くだけの人でないことは、その後のソロ活動をフォローしていればわかることだ。コミカルな曲もあれば、ファンキーな曲もある。「修二会」のように、暗いとだけ評することを許さない強い力を持った曲もある。
だが、グレープの3年間だけを切り取ってみた時、「朝刊」みたいな曲は少し浮いて見える。
グレープ解散は、さださんの病気療養が直接の事情とされているが、売れるにつけできあがってきた「グレープのイメージ」が、本人たちに違和感のあるものだったからではないかと思う。
私は、グレープのライブにはそう多く接していないからよくわからないが、「せせらぎ」に収録されている「ラウドネス」や、「三年坂」での「Question」、「第一印象」、「バンコ」といったインストゥルメンタル曲を聴くと、彼らとしては、もっと違った音楽もやっていたのではないか、と思う。
一方で「掌」を歌うかたわら、そうした別の領域も追求したかったのが、できなくなり、何かの限界を感じたという面もあったのでは? と思う。
それにしても、吉田(正美)さんのギターあってこそのグレープであることを、これも改めて痛感する。ほんとに奇跡のユニットだよなー、グレープ。
鈴木(康博)さんあってのオフコースと同じだ。
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76年4月グレープの解散
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