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日テレ24時間テレビ、来年のランナーは?

日テレの24時間テレビ、30回目の今年、番組の顔とでも言うべき、萩本欽一を70キロマラソンに挑戦させた。

放映時間を延長して、ゴールシーンを映した。

個人的には、チャリティを全面に打ち出す、日テレの24時間テレビのコンセプトには、基本的に共感しにくいものを感じている。
バラエティに徹したフジテレビの27時間テレビの方が、気楽に見られて楽しいと思う。

日テレ版は、毎年、誰かに長距離マラソンをさせるのが目玉になっている。

かつては、間寛平のような、日頃走って鍛えているタレントを使っていたが、ここのところ、そういう素地が必ずしもないタレントを起用するようになった。
そして、24時間ワクが終わりに近づく、日曜の20時台になると、よれよれになって、もはや走っているとは言えないその年の主役を映しながら、武道館で「負けないで」や「サライ」などの歌を、メドレーでがなりながら、お涙ちょうだい的に待つ構図になっている。

このところは、今回もそうだが、放送時間内に武道館にたどりつけないこともあるし、放送時間内のゴールになったにせよ、倒れ込むように限界を超えた状態でテープを切るのが普通になった。

私が日テレの24時間テレビに首をかしげるのは、チャリティそのものを否定するからではなく、日テレ自体がしかけた企画である、欽ちゃんのマラソンを、自らが泣きながら感動物語にする感覚についてだ。

欽ちゃんの、よれよれの走りに、視聴者が「勇気をもらいました」というなら、それを否定する気はない。
見方はそれぞれだから。

しかし、武道館でMCの立場にある、徳光さんや、タキツバが、率先して、今、恒例の萩本欽一が武道館を目指して苦難の道を走って(いや、歩いて)いることを、礼賛し、感動の演出をすることには、何かちょっと違うなと感じるのだ。

まあ、この番組は毎年そうなんだけどね。

そういう言い方をされるにつけ、番組のテーマである。チャリティや、集まった募金が、何か価値を減ずるように思われるのだ。

さて、批判的な意見はこれくらいにして。

今年、欽ちゃんという、この番組の象徴とも言うべき人をかつぎ出してしまった。

来年走る人は大変だなあ、と思わずにいられない。
既に人選は進んでいるか、もしかすると決まっているのかもしれない。

24時間テレビならではの人、となると、欽ちゃんを超えるのは、徳光さんしかいないが、あいにく徳光さんは心臓を患っていて無理だ。
ならば誰か。
私が今日、武道館の感動シーンを見ていて、まず思いついたのは、加山雄三
欽ちゃんを上回る、今年古希の年齢。そして、「サライ」の作者。なかなか付加価値がある。
次点は、谷村(新司)さんかな?

ま、基本的には、誰かに100キロ走らせる、という企画自体が、既に陳腐化しつつあるので、そろそろ別のものを考えてもいいのではないか、と思うのだが、もし続けるなら、私としては、「ちゃんと走れる人」にしてほしい。

自分が、2キロもまともに走れないことを棚に上げて言うが、かつての寛平ちゃんのように、日頃から鍛えている人が、その人にとって少し背伸びした目標(例えば距離、あるいはタイム)に挑戦する、という形にすべきではないか。
そして、余裕をもってとまでは言わないから、武道館には、力強く完走した、という状況でゴールしてほしい。

何故こういうことを言うかといえば、やはり「作り手が自ら過剰に演出した感動」というものが、いささかウソくさく見えるからだ。
今の日テレの24時間テレビは、おそらく、それを自覚しながら制作されていると思う。

「自分が先に笑ってしまう落語家は最低だ」と言われる。

ともかく、来年走る人は、どうしたって分が悪い。
何と言っても前年が欽ちゃんなんだから。

欽ちゃんというカードを切ってしまった日テレ。
ほんとに、誰をかつぎ出すのだろうか・・・。