24日(木)は、水戸へ直行。
水戸駅南口から、現地の事業所に向かうべくタクシー乗り場に向かっていると、携帯電話が鳴った。
前の記事に書いた、本社の某部長からだった。
前夜、その部長からの指摘、叱責を受けて、またあれこれ調べ直し、再報告をした。
部長本人は既に退社していたので、部の担当者に電話で説明し、明日朝、部長に報告しておいてくれ、と頼んでおいた。
部長本人は既に退社していたので、部の担当者に電話で説明し、明日朝、部長に報告しておいてくれ、と頼んでおいた。
これで済んだつもりになっていたのだが・・・。
甘かった。
部長本人から出張先の携帯電話を鳴らされてしまった。
再報告についての質問。
こういう観点からは間違いないのか?
吟味が甘くないか?
吟味が甘くないか?
「ここまで言わないとわからないのか」というニュアンスが感じられた。
言われる新たな指摘に対して、自信を持って合理的な説明ができない。
再検討、再報告が、まだまだ不充分な内容だったことを、折からの雨の中、思い知らされた。
とりあえず話は済み、事業所に向かうタクシーの中、あれこれ考えざるを得なかった。
反省。教訓。
今回は、報告の過程が問われた。
その案件に関する、「考え方」が問われた。
その案件に対する、「職責の自覚」が問われた。
その案件に関する、「考え方」が問われた。
その案件に対する、「職責の自覚」が問われた。
昨年の3月まで所属していた、本社の営業管理の部署でも、よく上司に言われたものだ。
「この部署でやっているのは、単なる事務処理ではないんだ」
「支店のために何が最良なのか考えて仕事をしろ」
「支店のために何が最良なのか考えて仕事をしろ」
今回もそうだ。
やはり、仕事を単なる「事務処理」として「かたづけよう」とする姿勢だと、何か内容不充分になる。
考えて仕事をしなければいけない、ということだ。
考えて仕事をしなければいけない、ということだ。
右から左へ「伝達」するような報告は、仕事とは言えない、ってことだな。
そこに、私という者がいないといけないのだ。
私の「オリジナル」、「考え方」が加わったものでないと、仕事としての価値が足りないのだ。
そこに、私という者がいないといけないのだ。
私の「オリジナル」、「考え方」が加わったものでないと、仕事としての価値が足りないのだ。
一言で表現すれば、「浅かった」ということだ。
当事者意識。ほんとに自分の仕事としてとらえていたのか。
半ば他人事のようにして、単に処理すればいいと思っていなかったか。
だから、どれだけ考えたかが足りなかった。
半ば他人事のようにして、単に処理すればいいと思っていなかったか。
だから、どれだけ考えたかが足りなかった。
そこを、見透かされた。
ほんとに、いい歳して、30年のキャリアがありながら、つくづく反省するようなことでは恥ずかしいのだが、そういうことだ。
ということで、連続KOでした。
今度は、2回持たず、9失点ってところかな。
今度は、2回持たず、9失点ってところかな。
でも、この連続KOで、少なくとも、今後も手がける同様の案件については、絶対に同じ愚は犯さないはずだ。同じミスはしない。
これだけ身にしみたのだから。
これだけ身にしみたのだから。
そして、今さらながら、という面はあるにせよ、自分の浅さを始め、色々と気づかせてもらった。
連続KOでよかった。
連日叱責してくれた本社の某部長には、そのことを感謝して、今後の仕事に取り組まなければ。
連日叱責してくれた本社の某部長には、そのことを感謝して、今後の仕事に取り組まなければ。
ちょっとしんどい思いはしたが、自分個人にとっては、よかった、またありがたい経験だった、と今の時点では思っている。
気持ちを引き締めて、また次のマウンドに上がろう。
完封、完投は望まぬまでも、「試合を作れる」ピッチングができるように備えて、そして投げたい。
完封、完投は望まぬまでも、「試合を作れる」ピッチングができるように備えて、そして投げたい。