5日(月)、仕事始め。
昼前に、毎年恒例の安全祈願にみんなで出かけた。
今年が「御創建1,300年」にあたるのだそうだ。
11:00の予約。
同じ時刻に予約した2つの会社と一緒に昇殿。
同じ時刻に予約した2つの会社と一緒に昇殿。
今年1年の現場の安全を願って、神妙に祈願した。
・・・と言いたいところなのだが。
上がってみると、「祭典中は正座の事」という貼り紙が。
思ってみれば、正座をする機会って、めったになくなったよね。
昔は、お通夜とか葬儀とかは、たいてい正座だった。
伊丹十三監督の第1作、「お葬式」で、お経の間に、正座をしている一同の足がしびれる場面がある。
お経の途中で電話が鳴り、とりに行った財津一郎が、見事にすっ転ぶ可笑しさは、今でも忘れられない。
伊丹十三監督の第1作、「お葬式」で、お経の間に、正座をしている一同の足がしびれる場面がある。
お経の途中で電話が鳴り、とりに行った財津一郎が、見事にすっ転ぶ可笑しさは、今でも忘れられない。
しかし、今では、葬式も椅子が普通になったように思う。
最近は、畳に正座、ということは経験していない。
最近は、畳に正座、ということは経験していない。
久々の正座だった。
正座していると、頭の中は、足の状態のことでいっぱいになってしまって、お経、今日だと祝詞(のりと)の内容だとかを聞く余裕がなくなってくるね。
もう、足がどの程度しびれてきているか、を心配しつつ、住職、神主の声が、いつやむか、ということしか考えなくなる。
葬式だったら、故人を偲ぶ気持ちどころではないし、今日だと、管内事業所の安全を祈る気持ちどころでなくなってくる。
もう、足がどの程度しびれてきているか、を心配しつつ、住職、神主の声が、いつやむか、ということしか考えなくなる。
葬式だったら、故人を偲ぶ気持ちどころではないし、今日だと、管内事業所の安全を祈る気持ちどころでなくなってくる。
もはや立って歩けない、という状況に至る前に、一連の儀式が終わってよかった・・・。
しかし、一緒にいた職場の仲間には、もっと厳しい状況になっていた者も。
御神酒をいただいて、外に出るのだが、足がしびれてしまって、出る時に階段から転落してケガをする者でも出たら(充分ありうる)、何のための安全祈願なんだか、ということになりかねない。
安全祈願の直後にケガ(笑)。御利益まったくなし、なんてね。
安全祈願の直後にケガ(笑)。御利益まったくなし、なんてね。