浦安オケにすっかりご無沙汰している。
10月2日(金)、船橋の伊藤楽器弦楽器工房に、弓の毛の交換、弦の張り替えで楽器を預けてから、大阪旅行へ。
4日(日)の合奏は欠席。
この日、大阪から新幹線で帰ってきて、下りの京葉線に乗って帰宅する途中、美浜公民館が車窓から見えた。
ああ、みんな、今あそこで練習してるんだな、と思いながら、公民館の脇を通過した。
この日、大阪から新幹線で帰ってきて、下りの京葉線に乗って帰宅する途中、美浜公民館が車窓から見えた。
ああ、みんな、今あそこで練習してるんだな、と思いながら、公民館の脇を通過した。
そして翌5日(月)の朝、想像もしていなかった母の訃報。
以後、練習には足を運べずにきた。
美浜公民館文化祭以来、楽器にはまったくさわっていない。
美浜公民館文化祭以来、楽器にはまったくさわっていない。
母の逝去直後は、楽器やオケのことなど、考えられなかった。
12月の市民演奏会は、出る気になれない、と思った。
12月の市民演奏会は、出る気になれない、と思った。
実際、毎週の土日は、やることがたくさんあって、オケ練どころではなかったし。
この間、本番指揮者、Y先生による合唱合わせの練習もあったが、やむを得なかった。
この間、本番指揮者、Y先生による合唱合わせの練習もあったが、やむを得なかった。
このまま、市民演奏会は降り番にするのか?
現実には、気持ちに色々揺れがあって、決めかねるままに、日々が過ぎてきた。
実際のことを言うと、母の他界は、思っていた以上に、自分にとってはこたえていた。
もう79歳だったのだし、もっと冷静にとらえられるかと思ったのだが、そうではなかった。
もう79歳だったのだし、もっと冷静にとらえられるかと思ったのだが、そうではなかった。
いまだに、日々、胸苦しい思いが続いている。
そんな中、この衝撃から立ち直るためには、自分にはオケが必要なのではないか、と思うようになった。
忌引から会社の仕事に復帰することもそうだったが、敢えて、自分で「普通の生活に舵を切る」ことをしていかなければならないのではないか。
通常モードの生活に戻していくことが必要なのだ。
通常モードの生活に戻していくことが必要なのだ。
現実には、今日24日もそうだったが、当分の間、週末は、木更津に帰ることが多くなる。それに加えて日曜日のオケ練に復帰するのは、体力的にはいささか厳しい。
葬儀以来の疲れがなかなかとれていないのも事実だ。
葬儀以来の疲れがなかなかとれていないのも事実だ。
そのことで、きっと自分の気持ちに整理がついていくだろう。
日が経つにつれて、そんな考えに傾いてきた。
ということで、とりあえず、明日25日(日)、1ヶ月ぶりに練習に出て、1ヶ月ぶりに楽器にさわる。
本番指揮者、Y先生による合唱合わせだ。
普通に過ごせるかな。普通に弾けるかな。
音楽は、私を救ってくれるだろうか。