naokichiオムニバス

68歳、ヴィオラ弾き。ビール大好き。毎日元気。

お世話になった先輩方の退任

今日25日(金)は、会社の株主総会だが、例年、この日を限りに会社を去る先輩が何人かおられる。

今年は特に、個人的にお世話になった方が退任されたので、感傷的になった。

筆頭は、監査役を退かれたH氏だ。

初めてお会いしたのは、入社前。1977年、大学4年の秋のことだ。
H氏は、当時人事部の係長で採用担当をされていた。
当時の就職活動は、4年生の10月1日が会社訪問解禁日と、今では考えられないくらい遅かったが、一連の会社訪問の中で、今の勤務先を訪問した時、最初に会ったのがH氏だった。

幸い、筆記試験、面接と順調に進んで内定をもらい、入社33年目の今日に至る。

入社してからは、一緒の職場で仕事をしたことこそないが、常に何かと目を配っていただき、公私ともお世話になってきた。

「お前が結婚する時には、俺が披露宴の司会をしてやるよ」と、まだあても予定もない内から言ってもらっていたのに甘え、25年前の結婚の時には、H氏は人事部で既に課長になっていたにもかかわらず、現場の若手の総務担当者ふぜいが、図々しくも司会をお願いしてしまった(実際、会社関係の一部の出席者からは違和感があったと後で聞いた)。

13年ほど経って、妻が患って入院した時には、大変心配していただき、その後、今に至るまで、私の顔を見れば、「奥さんはその後どうだ」と必ず聞かれた。

その後、名古屋にある関係会社に勤務されていた時期に、たまたま出張で近くまで行ったので、挨拶に行ったことも思い出に残っている。

そして、関係会社での職務を終え、再度、会社に戻ってからは監査役を務められて、今日の退任に至るが、一昨年、私がいた品川の支店の監査を担当される機会があった。
支店の他、群馬管内の全事業所を往査するということで、支店総務の立場で私が随行した。
2泊3日の出張だったが、2泊目の晩に、高崎駅ビルの天ぷら屋でゆっくり話し込んだのが今でも忘れられない。

まだ学生だった時の初対面から約32年半。会社で私を一番古くから知っている人だった。
さみしい、の一言に尽きる。

それから、今日は、元役員で顧問のY氏とO氏も、任期満了で退任された。

両氏とも、労働組合の活動を通じて始まったご縁だ。

Y氏は、設立初代の書記長、後に委員長も歴任された。
O氏は、二代目の書記長。私が入社した時に書記長だった。

私は入社したばかりの頃は、組合活動にあまり関心がなかったが、その後、支部の役員を務めるようになり、支部役員と本部の委員長という関係で、色々教えてもらった。

後年、私自身も組合本部の専従として6年間務めることになるが、それもY氏からの指導があってのことと思っている。

一方、O氏は、組合専従後は人事畑中心のキャリアを踏まれ、私が組合の時には、人事部長だったので、春闘の団体交渉や労使協議の相手方として、激しくやり合った時期もある。

さらに後年、私が組合を終えてからしばらくして人事部に移る機会があり、今度は人事部長と部下の間柄。
団体交渉等では、一緒に会社側に並んで、組合と対峙することにもなった。

Y氏、O氏とも、組合活動、会社の仕事、またプライベートな部分でも、様々な接点で長年おつきあいをいただいてきた。
カラオケでよく歌ったなあ。
思い出は数知れない。

H氏は、私がこの会社に入る窓口になってくれた人、そして、Y氏、O氏は、会社に入ってから、労働組合という切り口から私を育ててくれた人である。

それだけに、例年この時期に会社を去られる諸先輩方に増して、今日、お三方とお別れするに際しての感慨は大きかった。

あっという間だった、という気がする。
しかし一方で、やはり30年余りの時間が過ぎたんだなあ、とも思う。
出会った時には、係長だとか組合の先輩だった彼らも、今では60代後半から70歳という年齢になっていた。私自身も、もう間もなく55歳になる。それは事実だ。

誰にも平等に時は流れ、誰も年齢を重ねる。
そして、いつか会社を去る日がくる。
そのことを痛感した日であった。

幸い、お三方とも、引き続き近くにはおられるので、折々機会を作って、一献傾けながら、また色々と指導を仰ぎたいと思う。