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道建労協関東地方協議会設立から20年

私の入社以来の会社生活を語る時に、労働組合の活動は落とせない。

 

支部での活動に長く携わった末、最終的には、本部での組合専従を6年務めた。

 

これに加えて、同業者の労働組合で組織する協議会での活動もあった。
道路建設産業労働組合協議会」(略称:道建労協)という組織である。

 

専従時代に、この協議会の本部役員もやったが、それ以上に自分にとって大きいのは、「地方協議会」(地協)の活動である。

 

道建労協は、85年に設立された。

 

当初は、各労組の本部同士が連携しての活動が中心だったが、その後、各地域に「地方協議会」を作り、各労組の支部レベルの交流の場としよう、という話が出てきた。

 

本社支部で代議員(非専従)をやっていた私に、「関東地区に地方協議会を作ることになったが、議長をやってみないか」と、協議会本部の議長から声がかかった。

 

設立準備を進めて、設立総会を開いたのが、89年8月3日(木)。
(つまり、20年前の今日だ)

 

前日に、中部で地方協議会が設立されており、1日違いで、道建労協史上2つ目の地方協議会、「関東地方協議会(関東地協)」が、10社の労働組合の関東地区の支部から構成される組織として、産声を挙げたのだった。

 

当時、34歳。
以後、議長を3期(3年)務めた。

 

設立当初の3年間は、新しい組織を軌道に乗せるために、色々試行錯誤した。

 

なにぶんにも、サンプルとなるべき前例が何もない。
10の組合から集まった、地方協議会の役員たちで知恵を出し合い、活動の骨格を作っていった。

 

まずは、地方協議会ができたことのPRを、と、構成労組の支部大会に、議長の私が出かけていって、挨拶をさせてもらう、という活動。

 

そして、やはり、構成労組の組合員同士が、お互いを知ること、交流だろう、ということで、ボウリング大会などのレクリエーション行事も始めた。

 

3年目の夏には、家族も参加できるレク行事を、と、当時運航していた、川崎=木更津間のフェリー(「男女七人秋物語」に出てきた)に乗る、「納涼船」を企画した。もうじき議長を退任するという時期だったこともあり、特に印象に残っている。
(船上、持って行ったポータブルCDプレーヤーで、ディーリアスの「夏の歌」などを聴いたことを、妙に憶えている)

 

あっという間の3年間だった。

 

何もないところに、何かを作っていく、というのは、苦心もあったが、なかなか楽しいことであり、既に路線のできあがった中で行う、自分の組合の支部活動よりも、やり甲斐があった。

 

自分の組合活動歴の中では、もちろん、会社を休職しての専従生活6年間が、一番大きいが、それ以前の、非専従期間の中では、この地方協議会の旗揚げが、最も思い出に残っている。

 

この活動を通じて知り合った、他社の人たちの何人かとは、今でも年賀状のやりとりをしているし、今の支店での仕事の関連でつながりのある人もいる。
会社で役員になったり、支店長になったりした人もいる。そういう情報を新聞で見たりすると、やはり嬉しい。

 

そんな、関東地方協議会の、今日は設立20周年の記念日である。
20年前の今日を、懐かしく思い出す。

 

記念の年ということで、関東地方協議会の議長宛に、初代議長として、祝電を打った。

 

   ※関連の過去記事 「道建労協」設立20周年祝賀会に出席の栄
       https://naokichivla.hatenablog.com/entry/26706861