naokichiオムニバス

68歳、ヴィオラ弾き。ビール大好き。毎日元気。

豊饒のクレンペラー・ウィーク

オットー・クレンペラーという指揮者については、熱心なリスナーでなかった。

私がクラシック音楽を聴き始めた、高校1年の時(1971年)にはまだ存命だったが、私がまず飛びついたのはフルトヴェングラーであり、カラヤンベームバーンスタインなどだった。

今挙げた指揮者に比べると、いわゆるスター性に乏しかったし、レコードの名盤選びの本や記事にも、クレンペラーの録音がとりあげられることは少なかったと思う。

LPレコードの時代、私が買い求めたクレンペラーの録音は、大学入学直後に買った「ミサ・ソレムニス」くらいしか記憶がない。

それが、ここにきて、どうしたはずみか、クレンペラーの音源を買い集めるようになった。

きっかけはあまり定かでない。このところ好んで読んでいる、福島章恭氏の一連の著書で評価されているのが、一つの呼び水になったのかもしれない。

宇野功芳氏が以前から推薦している、ベルリオーズ幻想交響曲を聴いてみたらとてもよかった、というのもあっただろうか。

ともかく、このところ、クレンペラーの音源を、集中して買い集めたのだが、それを、今週からウォークマンで、通勤の往復に聴いている。

他の指揮者のものや、他のジャンルの音楽は封印し、もっぱらクレンペラー指揮の演奏のみを聴き続けている。

今週、1日(月)をスタートに、今日まで聴いてきたのは以下の曲。

買い集めた音源を、作曲家の年代順、番号順に聴き進めてきた。

モーツァルト 交響曲第25番、29番、31番、35番、36番、38番、39番、40番、41番

ベートーヴェン ピアノ協奏曲(バレンボイム)第1番~5番、合奏幻想曲

ベートーヴェン 交響曲第1番~6番

すべてすばらしい!

どうして、この歳になるまで、クレンペラーの演奏に親しまずにきたのだろう。それが悔やまれる損失に思われるほどだ。

モーツァルトベートーヴェンの古典を聴いてきてまず感じた印象。

モーツァルトは躍動的。

ベートーヴェンは、とてもしっかりした演奏。

オーソドックスだが、無個性ということではなく、どの曲にも、ある意思を感じる。

前に聴いた、マーラーの7番は、異形と言うのか、相当にデフォルメされた演奏だったが、ここまで聴いてきた古典については、それと同じ指揮者とは思えない。
むしろ、あのマーラーの7番が例外的な演奏なのか、という印象がある。今のところだが。

次に感じているのは、オケの巧さだ。

今回聴いているクレンペラーの相手は、フィルハーモニア管弦楽団(一部の曲はニュー・フィルハーモニア管弦楽団)だ。

これも私の演奏受容経験の偏りだが、クレンペラーがスター性のない指揮者であるのと同様、オケがベルリン・フィルウィーン・フィルや、シカゴ響、ボストン響でない、ということで、何か、フィルハーモニア管のことを、無個性なオケと先入観を持ってとらえていた面がある。

これも、今回不明を恥じるしかないが、当時のフィルハーモニア管は、何とすばらしいオケであることか!

特に感じるのは、力を感じさせる弦、そして木管の美しさ。特にオーボエの音色は特筆すべきものだ。
ウインナオーボエを思わせる音色であり、かつもう少し深みのある味わいを持っている。

そして、何よりも、対向配置の面白さが無類だ。

対向配置の録音を聴くのは初めてではない。クーベリックやモントゥーも、しばしばこの配置で録音している。

しかし、クレンペラーのこの一連の音源は、録音の特性だろうか、右側のセカンドヴァイオリンが、とてもよく聞こえる。

この面白さといったらない。

内声、特にセカンドのきざみが強く聞こえるのは、ヴィオラ弾きの耳で聴くと、まったくこたえられないものがある。

こういう演奏を聴いてしまうと、現代型の配置のオケ録音を聴く気がなくなるほどだ。

上記のモーツァルトベートーヴェン、どれもすばらしい。長く聴くに足る手元の財産と言いたい。

ところで、クレンペラーは、フルトヴェングラーより1歳年長だ。しかし、フルトヴェングラーの没後19年も生きた。
そのため、我々は、こうしてクレンペラーの演奏を、優秀なステレオ録音で、今、楽しむことができるのだ。

さて、手元のクレンペラーの音源、1日から聴き続けて5日ではまだ終わらない。

明日は、とりあえずベト7からスタート。第九までの3曲。

以後、ベルリオーズ(幻想)、ブルックナー(5番、7番、9番)、ドヴォルザーク(新世界)、マーラー(2番、4番、7番、9番)と聴いていく予定。

もう1週間はかかるな。クレンペラー・2ウィークだ。

今後、さらに買い求めたいのは、ブラームスの4曲。これは近い内に是非、と思っている。