オットー・クレンペラーという指揮者については、熱心なリスナーでなかった。
今挙げた指揮者に比べると、いわゆるスター性に乏しかったし、レコードの名盤選びの本や記事にも、クレンペラーの録音がとりあげられることは少なかったと思う。
LPレコードの時代、私が買い求めたクレンペラーの録音は、大学入学直後に買った「ミサ・ソレムニス」くらいしか記憶がない。
それが、ここにきて、どうしたはずみか、クレンペラーの音源を買い集めるようになった。
きっかけはあまり定かでない。このところ好んで読んでいる、福島章恭氏の一連の著書で評価されているのが、一つの呼び水になったのかもしれない。
他の指揮者のものや、他のジャンルの音楽は封印し、もっぱらクレンペラー指揮の演奏のみを聴き続けている。
今週、1日(月)をスタートに、今日まで聴いてきたのは以下の曲。
買い集めた音源を、作曲家の年代順、番号順に聴き進めてきた。
すべてすばらしい!
どうして、この歳になるまで、クレンペラーの演奏に親しまずにきたのだろう。それが悔やまれる損失に思われるほどだ。
モーツァルトは躍動的。
ベートーヴェンは、とてもしっかりした演奏。
オーソドックスだが、無個性ということではなく、どの曲にも、ある意思を感じる。
前に聴いた、マーラーの7番は、異形と言うのか、相当にデフォルメされた演奏だったが、ここまで聴いてきた古典については、それと同じ指揮者とは思えない。
むしろ、あのマーラーの7番が例外的な演奏なのか、という印象がある。今のところだが。
むしろ、あのマーラーの7番が例外的な演奏なのか、という印象がある。今のところだが。
次に感じているのは、オケの巧さだ。
これも私の演奏受容経験の偏りだが、クレンペラーがスター性のない指揮者であるのと同様、オケがベルリン・フィルやウィーン・フィルや、シカゴ響、ボストン響でない、ということで、何か、フィルハーモニア管のことを、無個性なオケと先入観を持ってとらえていた面がある。
これも、今回不明を恥じるしかないが、当時のフィルハーモニア管は、何とすばらしいオケであることか!
そして、何よりも、対向配置の面白さが無類だ。
対向配置の録音を聴くのは初めてではない。クーベリックやモントゥーも、しばしばこの配置で録音している。
しかし、クレンペラーのこの一連の音源は、録音の特性だろうか、右側のセカンドヴァイオリンが、とてもよく聞こえる。
この面白さといったらない。
内声、特にセカンドのきざみが強く聞こえるのは、ヴィオラ弾きの耳で聴くと、まったくこたえられないものがある。
こういう演奏を聴いてしまうと、現代型の配置のオケ録音を聴く気がなくなるほどだ。
ところで、クレンペラーは、フルトヴェングラーより1歳年長だ。しかし、フルトヴェングラーの没後19年も生きた。
そのため、我々は、こうしてクレンペラーの演奏を、優秀なステレオ録音で、今、楽しむことができるのだ。
そのため、我々は、こうしてクレンペラーの演奏を、優秀なステレオ録音で、今、楽しむことができるのだ。
さて、手元のクレンペラーの音源、1日から聴き続けて5日ではまだ終わらない。
明日は、とりあえずベト7からスタート。第九までの3曲。
もう1週間はかかるな。クレンペラー・2ウィークだ。
今後、さらに買い求めたいのは、ブラームスの4曲。これは近い内に是非、と思っている。