naokichiオムニバス

68歳、ヴィオラ弾き。ビール大好き。毎日元気。

平林遼氏「恥は捨てたもの勝ち」

指揮者の平林遼氏の旧Twitterをフォローしている。

指揮者としての音楽に対する色々な考え方などを知ることができて、学ぶところが多い。

 

その平林氏の25日(木)の投稿も、私の心に響く内容だった。

引用させていただく。

 

恥は捨てたもの勝ち。

政治家?恥ずかしい。演説白々しい、本音は何処、と常に思われる。出世すれば毎日誹謗中傷の嵐。

経営者、恥ずかしい。偉そうに方針を打ち出して失敗したら従業員にも笑われる。金銭的にすっからかんになり、負債を抱えるかもしれない。

指揮者?恥ずかしい。曲に奉仕しようと必死になすぎて批判されたりすることもある。そもそも、モテたいなら、がむしゃらの獣のような顔をしない方がいいのだ。

演奏家、音を外したらどうしようか。

芸能人、タレント、役者、落語家、、、。

小説家や画家もそうだ。
「こいつ、こんなこと考えてたのか?」と心の恥部を開陳する仕事。

恥は、かいたもの勝ちだ。
人前に出るのが恥ずかしい。人に出来ないやつと思われるのが恥ずかしい。何か自分の考えや心の奥底を表明するなんて恥ずかしい。

いや、大丈夫。
恥をかいても、肉体は傷付かず、預金が減るわけでもない。むしろ開き直るのだ。見せるのだ。

私はこういう人間です。逃げも隠れもしません。だって事実なんだから、しょうがないでしょ。

誤魔化すのが1番ダメだ。取り繕うな。真っ直ぐにぶつかれ。

失敗を繰り返しながら、だんだん自分に焼きが入り、刀はやがて真剣になる。

失敗を恐れるなら自室に篭って出ないのがベストとなのだが、そんなのつまんないだろう。

リスクは見返りや成果とセットなので、身を守ることは得策ではないどころか、実質損をしていることも多い。

書物を読み切ったら、それを捨てて旅に出よう。(アンドレ・ジッド)

 

 

今、浦安シティオーケストラで取り組んでいるチャイコフスキーの「悲愴」。1楽章冒頭部分がちゃんと弾けず、練習のたびに恥ずかしい思いも悔しい思いもしている。反省も。

 

そんな私に、平林氏の言葉が響いてくる。

 

「恥は、かいたもの勝ち」。「取り繕うな。真っ直ぐにぶつかれ」。

失敗を恐れずに表に出ろ。

 

練習を重ね、失敗を繰り返しながら、私は「真剣」になりたい。

「やがて」ではだめなんだな。1ヶ月後の本番で。