naokichiオムニバス

68歳、ヴィオラ弾き。ビール大好き。毎日元気。

東京二期会オペラ劇場 フィデリオ

3日(木)、新国立劇場で行われた、東京二期会オペラ劇場の「フィデリオ」に行ってきた。

 

東京二期会がこの公演を行うことは、数日前からネットで目にしていた。

 

3日の朝、改めてチェックしてみたところ、3日が初日で、4日(金)、5日(土)、6日(日)と4日連続の公演となっている。

土日はオケ練などがあって、東京へは出られない。4日は平日ながらマチネだ。

行くなら今日しかないじゃん、ということに気づいた。

 

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さてどうするか。

 

久しぶりのオペラ。「フィデリオ」という演目にも興味がある。

 

実は、「フィデリオ」は、新国立劇場オペラの公演として、2018年6月に上演された。この時は、チケットも買ってあったのだが、体調不良のために急遽行くのを断念した。

それ以来の、「フィデリオ」を観られる貴重な機会でもある。

 

考えた末、午後になって、行くことを決めた。今の新型コロナウイルスの状況だから、おそらく当日券はあるだろう。

 

A社(西新宿)を出る。新国立劇場までは、ちょっと遠いが歩いて行ける。20分ほどで着いた。

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新国立劇場に来るのは、昨年5月の「ドン・ジョヴァンニ」以来だ。そんなに久しぶりだったっけ。

 

当日券を買い求める。そう枚数があるわけではなかったが、例によって2階席を購入。L6列5番。

 

普段はクロークとして使われている一角が、「来場者カード」の記入所になっている。氏名や連絡先、自分の席番号などを記入する。筆記用具も置いてあるが、未使用のものと、使用済みのものは別になっている。私は手持ちのシャーペンを使った。

 

劇場入口の手前に、検温装置がある。その前に立ってから、来場者カードを提出、手指も消毒する。

 

入場する時は、チケット半券を自分で切り、係員にチケットを見せながら半券を箱に入れる。

 

入場すると、いつもなら、飲み物や軽食を売っているカウンターがない。ホワイエの密を防止するためだろう。オペラ劇場の気分という点ではさみしいことだ。

 

プログラム冊子を買って、自分の席に向かった。

 

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プログラム冊子から。

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副指揮に、以前浦安オケでご指導いただいた、喜古恵理香先生の名前がある。

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場内は1つ置きに空席となっている。1階、ステージ前の3列はすべてが空席。

 

東京二期会オペラ劇場 ベートーヴェン生誕250周年記念公演

日 時 2020年9月3日(木) 18:00開場 18:30開演
会 場 新国立劇場オペラパレス
指 揮 大植 英次
管弦楽 東京フィルハーモニー交響楽団
合 唱 二期会合唱団、新国立劇場合唱団、藤原歌劇団合唱部
曲 目 ベートーヴェン フィデリオ

 

ところで、この「フィデリオ」というオペラについては、あまりなじみがない。

 

若い頃、主要なオペラのレパートリーは、レコードを買い集めて、対訳を見ながら聴いて勉強したものだが、そうした中に「フィデリオ」はなかった。オペラとして、またベートーヴェンとして、格別の傑作というわけではない、という聞きかじりの知識が邪魔をしたのかもしれない。

 

録音については、LPレコード時代には結局買うに至らず、バーンスタインウィーン・フィルカラヤンベルリン・フィルベーム2種(ベルリン・ドイツ・オペラの日生劇場ライブと、ドレスデン国立歌劇場のスタジオ録音)のCDは所持しているものの、熱心に繰り返し聴いてきたわけではない。

 

つまり、私にとっては、半世紀近いクラシック音楽鑑賞歴にあって、聴いたこがないわけではないが、ピンときていないオペラなのだ。

 

実演はこれが初めてだ。当日になって急遽行くことにしたのも、実演にふれれば、わかることもあるのではないか、という思いもあった。結論を先に書けば、その期待は大いに満たされた。

 

ピットを見下ろすと、弦は、8・6・5・4・3。ヴィオラのトップは須田(祥子)さんだったと思う。

 

奏者間の距離が空けられているように見えた。ただ、弦のプルトごとの譜面台は1台。

 

冒頭、「フィデリオ」序曲でなく、「レオノーレ」の3番が演奏された。緞帳が上がり、序曲の間、ステージ上を人がうごめく。

 

上方に、「ARBEIT MACHT FREI?」というドイツ語が、横長の看板のように吊るされている。

 

ステージ前方には、終始紗幕が下がっていて、そこに、文字や映像が投影される。

 

このドイツ語の解説も投影されたが、アウシュヴィッツ強制収容所の門に残された言葉(働けば、自由になれる)なのだそうだ。

 

さらに、「戦後75年に及ぶ人類と壁の闘いの物語である」との文字が。

 

この公演の演出は、深作健太氏。深作欣二氏の子息なのだそうだ。

深作氏の演出は、終戦の1945年から2020年までの時代の流れを、オペラの物語に重ね合わせて描くというもの。敢えて刑務所を舞台には描かず、「刑務所の塀」でなく、我々の日常を囲む様々な「壁」をモチーフとして、人間と「壁」との戦いを描いたオペラとして提示する。
舞台上には、強制収容所の鉄条網と死の壁ベルリンの壁パレスチナ分離壁アメリカ国境の壁が表現された。

 

第1幕は、1945年の設定。紗幕に大きく「1945」と表示された。

 

何しろ不勉強で、ストーリーも、男装した妻、レオノーレが、投獄されている夫、フロレスタンを救い出す、といった程度にしか把握していない。観るもの聴くものを追いかけながらの鑑賞だ。

 

1幕冒頭は、フィデリオと名乗るレオノーレを慕うマルツェリーネと、そのマルツェリーネを口説くヤッキーノのからみから。

 

その後、レオノーレが登場するが、レオノーレに思いをぶつけるマルツェリーネと、娘と結婚してやってくれと言うロッコに対して、レオノーレはフロレスタン救出の思いを歌う。

 

この同床異夢の三重唱は、ロッコ父娘が少し気の毒になる。

 

このあたりのベートーヴェンの音楽は、モーツァルトのオペラの延長にあるな、と感じさせる。ベートーヴェンがオペラに取り組むにあたって、一番の教材となったのは、モーツァルトの数々の傑作ではなかっただろうか、と推測したりする。

 

その後、ドン・ピツァロが登場すると、音楽が緊迫し、ベートーヴェン的になってきたと感じる。

 

演出では、このあたりで、戦後の東西冷戦が映像として映し出される。

 

続いて歌われるレオノーレのアリアは、長い。歌い手としては大変だろう。オケではホルンが活躍する。

 

フロレスタンが登場した場面では、舞台セットに大きく「FREIHEIT」と書かれている。「自由」は、この演出では重要な言葉のようだ。

 

演出では、引き続き、ケネディ大統領の映像や、ベルリンの壁、政治家の言葉などが映し出される。

 

いよいよレオノーレが、かねての望みがかなって地下牢に下りて行くことになったあたりで、「1989」と表示され、冷戦が終結するというところで、1幕が終わった。緊迫感のある音楽がすばらしかった。

 

戦後の歴史を、映像や言葉でたどり、刑務所の設定ではなく、4つの壁との関連で描く演出意図は理解したものの、オペラのストーリーとの直接の関連まではつかめなかった。

作品への理解を第一の目的に観ている「フィデリオ」初心者にとっては、これらが少々ノイズとして働いたところが否めない。

 

20分間の休憩。

 

第2幕は、2001年、あの9.11の映像から始まった。

 

パレスチナ分離壁の映像。

 

1幕まで聴いての、私のこのオペラへの印象は、「モーツァルトのオペラに学んだベートーヴェンが、自分の個性も出そうと一所懸命がんばって書いたオペラ」というような感じだった。

 

しかし、フロレスタンが登場して歌い始めると、もうモーツァルトの面影はない。すっかりベートーヴェンの音楽だ。以後、終幕まで引き込まれっぱなしだった。

 

フロレスタン、ロッコ、レオノーレの歌は、誠に聴きごたえがあった。1幕の後半、レオノーレが少しガス欠気味と思えたが、2幕ではすっかり持ち直した。

 

舞台上方の「ARBEIT MACHT FREI?」のアルファベットのいくつかが、欠け落ちて、「REIHEIT」となっている。そこにフロレスタンが落ちていた「F」の文字をはめこんで、「FREIHEIT」とする演出。

 

「自由」を得たレオノーレとフロレスタンの二重唱は、ベートーヴェン得意の、「苦悩から歓喜へ」の感動を伝えてくる。ここは主にDdurで進行するが、「第九」の4楽章を思い出させる。

 

ドン・フェルナンドが登場したあたりが、「戦後75年記念式典」とされた。

 

そこから終幕までは、一気の運び。

 

それまで、合唱団は終始見えないところで歌っていたが、この最後のフィナーレでは舞台上に登場した。

 

「2020」と表示された最後の最後、舞台上の照明が一段と明るくなり、合唱団は着けていたマスクを外した。そして、紗幕が上がった。

様々なものからの解放を表したものだろう。

 

聴き慣れていない音楽なので、曲締めのたたみかけにはちょっとついていけなかった。

 

大きな拍手。カーテンコールの際も、ブラボーの声はない。オーケストラの演奏会でのブラボーは嫌いだが、オペラにないのはちょっとさみしい気もする。

 

何はともあれ、私にとって、これまでピンとこなかった「フィデリオ」が、大変すばらしいオペラであることを知った。

古来様々な毀誉褒貶があった作品だが、私にはすばらしいオペラと感じられた。やはり、実演の場というのは、色々なことがよくわかる。視覚的にも聴覚的にも。

 

急遽の形だったが、来て本当によかったと思った。

 

またいずれ、このオペラが上演される機会があれば、是非観たいと思う。次回はもっと落ち着いて腰を据えて味わうことができるだろう。

 

とりあえず、バーンスタインウィーン国立歌劇場のDVDを持っているので、観てみよう。