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叔母の他界

8月31日(火)、母方の叔母が木更津の病院で亡くなった。84歳だった。

母の弟の配偶者である。

前々日の8月29日(日)、長男である従弟から電話が入り、危篤に陥っているとの話を聞いていたので、31日の朝入った訃報は、そうか、と受け止めた。

2014年9月に叔父が脳梗塞で倒れた。幸い大事には至らず、3週間ほどで退院したのだったが、いくらもせぬ同年11月に、今度は叔母が脳梗塞に襲われた。外出するため靴を履こうとしていて倒れたと聞いた。

叔母の方は重篤な推移で、家族とのコミュニケーションも難しい状態とのことで、病院に見舞うことは控えたままで推移した。

一昨年、2019年10月に叔父が亡くなった。

叔父危篤の知らせを受けて、木更津の病院に会いに行ったのだが、同じ病院の別室に叔母もおり、その時に久しぶりに顔を見ることができた。

叔母と会ったのは結果的にそれが最後となった。
(叔父はこの翌日に逝去)

今回の叔母の危篤を伝えてきた従弟の話では、昨年の新型コロナウイルスの感染拡大以降、家族と言えども病院に行って面会することがかなわず、自分の母親とはもう1年半くらい会えていなかったそうだ。それでも、危篤ということで久しぶりに行って会うことができたとのことだった。

両親の相次ぐ脳疾患発症からおよそ7年間、従弟を始めとする子供たちの苦労は心身とも大きかったことと推察する。

9月4日(土)に通夜、5日(日)に葬儀告別式が木更津市内の斎場で営まれ、両日とも参列した。

通夜は18:00から行われた。

コロナ禍の状況下、家族葬で行われた。棺が置かれた斎場の部屋には親族のみが入って間隔を空けた椅子に座り、親族以外に来場した会葬客は、部屋の入口の焼香台で焼香の上でお帰りいただく形だった。

少人数での葬儀を残念に感じたのもさることながら、従妹(長女)があいにくの発熱のために両日とも参加できなかったことがを誠に気の毒に思った。コロナ検査は陰性ながら体温が安定せず、慎重にリスクを避けてのことと聞いたが、他ならぬ実母との最後の別れの場にいられないのは、さぞ無念なことだっただろうと思う。

通夜閉式後、いわゆる通夜ぶるまいの会食は、コロナの現況から行われず、用意された仕出しの弁当を受け取って帰宅、妻といただいた。

5日、葬儀告別式は12:30から。

13時半頃に出棺し、火葬場へ向かった。

木更津市火葬場。一昨年の叔父の時はもちろん、私の父母の火葬もここだった。

久しぶりに行ってみると、火葬場の隣地に新しい火葬場が建設されている。

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私の時はあそこで焼かれるんだろうな、などと思う。

前日もこの日も雨模様の天気。火葬の最中もずっと曇っていたが、収骨の時になって、雲間からサッと日が差してきて、晴れた。

火葬場から斎場に戻って散会の際、喪主の従弟から、10月に四十九日法要を叔父の三回忌と併せて行うとの話があった。ただ、コロナを考えて、子供たちだけで行うとのことだった。

今月のお彼岸には木更津に帰って、お詣りに行きたいと思う。

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