naokichiオムニバス

67歳会社員。ヴィオラ弾き。ビール大好き。毎日元気。

亡き叔母の思い出

亡くなった叔母の葬儀では、子供の頃からのことをあれこれ思い出していた。

母の実家は質店を営んでいたが、母を含む姉3人がそれぞれ嫁ぎ、末弟である叔父が家業を継いで、叔母と一緒に家を守ってきた。

近年は、近所で店をたたんだお茶屋さんの商売を縁あって引き継ぎ、質屋とお茶屋を兼営する形になっていた。

母の実家が木更津市中央3丁目。私の実家(現在の実家に引っ越す前の生家)が中央1丁目で、歩いて10分程度の距離だったため、互いの行き来は頻繁だった。
(父の実家が中央2丁目。狭い範囲に親戚が揃っていた)

私がまだ子供の頃のある日、叔母が母を訪ねてきた。色々な話をしている2人の脇にいたのだが、ふと叔母が「お義姉さん、そのブラウス素敵ですね」と言ったのが、どういうわけか記憶に残っている。思えば、叔母はしばしばそうしたことを言っていたような気がする。

子供の私は、叔母さんって優しい気持ちの持ち主なんだ、いい人だと感じたものだ。
大人になった今は、叔父の家に入ってきた身として、他家に嫁いで出た義姉とのつきあい方の意識から出た言葉という面もあっただろうと思いもする。しかし、それよりやはり、叔母の生来の人柄から素直ににじみ出たものだっただろうと思う。

そう、叔母は本当に優しくていい人だった。

ついこの間まで、木更津に帰って母の実家に顔を出し、お茶屋の店先の引き戸を開けると、たいてい出てくるのは叔母で、奥に向かって叔父に「お父ちゃん、naokichi君が」と声をかけながら招き入れてくれたものだ。

そうした時の笑顔はいつ行っても同じで、強く心に残っている。
(今回の葬儀で見た遺影も、まさにそのような笑顔だった)

思い出すことはきりがないが、私の場合、近年のことで一番忘れられないのは、2009年に母が亡くなった時のことだ。

葬儀の準備など、私や妻、妹がばたばたする中、叔母が家に来て一緒にいてくれた時間があった。
叔母は、既に認知症が進んでいた父の話相手をしてもくれた。このことも、叔母の人柄を改めて感じた出来事だった。とても助かったし心強かった。

最も近くにいる親戚である叔父と叔母の助けがなかったら、葬儀までを乗り切ることは難しかったと思う。本当に感謝している。

叔母と最後に会ったのは、前の記事に書いたように、一昨年、病室を訪ねた時だが、病床で眠る姿でなく元気だった頃の叔母とはいつが最後だったか。

2014年9月に脳梗塞で倒れた叔父を取り急ぎ見舞いに君津中央病院に行った時だったのではないかと思う。病室に入ると、叔父のつきそいで叔母もいた。

脳梗塞ということで心配して行ったのだが、思いのほか元気な様子で安心した。
よかったね、と叔父と叔母に話したものだ。

まさかその2ヶ月後の11月に、今度は叔母が同じ脳梗塞で倒れるとは、叔母自身はもちろん、叔父も、誰も思っていなかっただろう。

3週間ほどで退院して家に帰っていた叔父を訪ねたのは11月の初めだが、この時は叔母は外出中だったので会っていない。

叔母が倒れたのは、その10日後のことなので、そうすると、君津中央病院で会って話した9月が最後だったのだと思う。

叔母が学校卒業後、その君津中央病院で、叔父に嫁ぐ前の時期、事務職として働いていたことを、今回の通夜で初めて聞いて知った。

倒れて7年間の入院生活。この間、仮にコミュニケーションが成り立たない状態であっても、時々は顔を見に行っていれば、と今にして悔やむ。

本当にお世話になりました。ありがとうございました。

※過去の関連記事
    叔母の他界

       https://naokichivla.hatenablog.com/entry/2021/09/11/103126