昨19日(月)は、木更津に帰省した。
父母の墓に、会社生活を終えたことを報告するためだった。
さだ(まさし)さんの「夢の轍」を聴きながら向かった。
千葉駅から電車に乗ったところで、B面1曲目の「退職の日」になった。
1982年リリースのこのアルバムに納められたこの曲は、27歳の時から聴いてきた。
会社勤めをしてくる中で、いつか自分にも会社を辞める日が来るんだ、ということを意識する時に、「退職の日」がいつも頭に思い浮かんだ。
N社(京橋)で60歳定年を迎えた時は、まだ勤務が続いたし、4年前にそのN社を離れることにはなったが、引き続き子会社2社での監査役としての業務があったので、「まだ「退職の日」のシチュエーションではないな」とそのたび思った。
しかし、今回は正真正銘、「その後」はない退職。
私の「退職の日」、16日(金)は、この歌に描かれた世界とは違ったものではあったが、それでも、久しぶりに聴いて、じーんとくるものを感じながら、木更津に向かった。
みまち通りに入る少し手前にあった弁当屋、浜屋が店を閉めてしまったことを知ってびっくり。
子供の頃から好きだった「バーベキュー弁当」。最近も木更津に行けばここで買って帰ることが多かった。
狸の絵が描かれた看板もろともきれいになくなっている。これはショックだな。市内には他に2店舗あるので、食べられなくなるわけではないが。
さみしい思いを抱きながら、父母の墓へ。
千葉駅で買ってきた花を供える。
この日、後刻実家で落ち合うことになる姪(妹の長女)が既に来て、墓をきれいにして線香も上げてくれていた。
父母に、45年あまりの会社生活をまっとうしたことを報告。
私の就職については、特に父との間では色々なことがあった。
そもそも大学4年生の時の就職活動は、志望先等父からの助言を受けながら取り組んだがうまく進まず、様々な経過があって、N社に入社した。建設業という業種は、父ともども就職先の想定にはまったくなかった。
そのことが父を心配させた面がある。実際、入社後、別の会社への転職を考えたらどうか、という話は、20代の時期に一度ならずあったが、私としては既に入社後お世話になってきた諸先輩や親しい仲間もいたし、この会社でまだやっていく、と答えた。
以後、N社でキャリアを積んでいくに従って、父も安心してくれたらしく、ある時期から役職にもつくようになってからは、その都度の異動を喜んでくれた。
入社前、入社後しばらくの間の、そうした一連の経緯は、私が自身の会社生活を振り返った時、父との関係においては一定の重さを感じる部分である。
父、そして母の眠る墓の前で手を合わせ、「無事に最後まで勤めあげたよ」と伝えた。ほっとしてくれているだろうか。
今さら言うまでもないことだが、生み育ててくれた父母への感謝は限りない。
仕事においても、音楽においても、今の私があるのはもちろん父母のおかげだ。
父母のために、これからの残りの人生もしっかりとしたものにしなければならない。
同じ一角にある、父方の祖父、祖母、伯父、伯母の墓にも線香を上げ、報告した。
こちらには母方の祖父、祖母、叔父、叔母が眠っている。
私が生まれて初めてビールを口にしたのは、叔父のお酌だった。
叔父と仕事の話をしたことはあまりなかったように記憶する。
気分的な流れで、子供の頃を過ごした、前の実家があったあたりを歩いてみた。
その後、昼食。
木更津駅東口にある「とんとん亭」に入った。トンカツの店で、時々利用している。
何かしみじみした気持ちになっていたので、ついビールを注文。
月曜日の昼間っから大瓶、というのも、無職ならではだ。
この店名物のあじフライ。これはほんとにおいしい。
メインはトンカツでなく、「とんヒレステーキ」にした。
食べてから実家へ向かった。
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