naokichiオムニバス

68歳、ヴィオラ弾き。ビール大好き。毎日元気。

不必要な車内アナウンスが多くないか

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   上野駅正面改札前には仙台の七夕の飾りがありました





今日は、日帰りで水戸へ。さる案件に係る挨拶のため、本社の者を連れて茨城県庁まで行ってきた。
上野駅から、常磐線の特急で往復。

このところ、管内を出張することが多く、新幹線や特急にしばしば乗っている。
今日も改めて思ったのだが、車内のアナウンスがちょっと長いというか、しつこくないか?

電車が走り出すと、チャ~リラリ、チャ~リラリとメロディが流れて、車掌がアナウンスを始める。

途中の停車駅と到着時刻。
自由席車両がどれで、指定席車両がどれで、から始まって、トイレや電話がどこにあるとか、車内の設備の説明。
それから、注意事項のたぐい。
車内に不審物があったら係員に知らせろ、デッキも含めて全車両禁煙だ、、座席では携帯電話での通話はせず、通話するならデッキでやってくれ等々、ああしてくれ、これしちゃだめ・・・。

あれやこれやで、5分くらいはしゃべっている印象だ。

これって、本当に必要なんだろうか、と思う。

ここでしゃべられている内容は、乗客が知りたいものと、乗せている電車の側が乗客にお願いしたいことに大別される。

まず前者について。

確かに、途中停車駅の到着時刻などは、私も知りたいと思う。
しかし、それは、紙に書いて、前の座席の背中のポケットにでも入れておいてくれればいい話だ。
実際、今日乗った常磐線特急では、口で車内設備を説明した上で、「これらは皆さまのお座席の前のテーブルに表示してあります」と言った。だったら、わざわざしゃべんなくてもいいんじゃないのか?

声でのアナウンスは、その場限りで消えてしまうものでもあるし、聞き逃せばそれまでだ。
私も、この前、長い長いアナウンスの中で一番聞きたかった、降車駅の到着時刻に話が及んだところで、車内販売のお姉さんがワゴンでまわってきて、近くの客がコーヒーを頼んだものだから、ミルクと砂糖はどうするとかいう会話が始まり、肝心のアナウンスが聞き取れなかったことがある。
こうした意味でも、アナウンスよりは、客が見たい時に見られる文字情報で置いておいてもらう方が、情報の伝達方法としても、合理的ではないかと思う。

また後者については、アナウンスで呼びかけることに、実効があるのか、という意味で疑問だ。
実際、今日の常磐線特急でも、そのアナウンスが終わった直後に、近くの乗客が、座席に座ったまま通話を始めた。
マナーを意識できない乗客には、アナウンスでの呼びかけをしても意味がない、という好例である。
これは、アナウンスでなく、紙で書いて置いておいたにしても、効果は期待できない。
結局は、うるさいだけで無意味ではないか、ということだ。

あと、さんざん、色々述べたあげくのはてに、「この電車は○○車掌区の××が終点△△まで担当します。よろしくお願い致します」という、自己紹介の挨拶でしめくくられることが多いが、これも私にはどーでもいい。
別に、私は目的地に行ければいいのであって、車掌さんが山下さんであろうと井上さんであろうと、それは余分な情報ではないかと思うのだ。

伝えたいことは、紙に書いて、いつでも読める状態にしておく。
長くうるさいだけのアナウンスはいっそやめてみてはどうか。そんなに支障がないように思う。
(JRの千葉駅では、平成の始め頃からだっただろうか、発車のベルを全廃して、発車時刻がくれば黙ってドアが閉まるようになった。全廃にあたっては、乗客の苦情があるのではないかと懸念されたようだが、こうしてそれに慣れてしまえば、どうということはない。むしろ駆け込み乗車の危険がなくなったとも聞く)




と、そんなことを考えた今日の常磐線であったが、その後、自分の心理を振り返って考えたことをもう少しつけ加える。

一連のアナウンスが気になるのは、やはり出発時の場合だ。
電車に乗り込み、さて、弁当を開こう、あるいは本を読もう、またゆっくり寝よう、と、ともかくこれから車内で過ごす時間に、何かしら期待をし始めたところに、決して小さくはないボリュームで、ああだこうだ延々としゃべられるのに抵抗を感じるところがある。私の場合はそうだ。
一方、電車が終着駅に着く前にも、到着後の各線への乗り換え等について、やはり延々とアナウンスが流れるが、これは、思ってみればそんなにうるさく感じない。
たぶん、もう下りなければならないと思っているから、どうということはないのだろう。
要するに、発車時の場合は、電車でのくつろぎの時間を邪魔される、という感覚があるわけだ。

それから、これも今気がついたが、飛行機の場合。
飛行機の場合も、あれこれアナウンスがある。機長が誰で、チーフパーサーが誰でという紹介もある。
なのに、これはあんまり気にならない。
何故だろうと、自分に問いかけた時、理由が二つ。
一つは、そのアナウンスをしているのが、女性であることが多いこと(笑)。単純だなあ。
もう一つは、やはり飛行機に乗ってる時って、それ自体が嬉しいんだな。ちょっと非日常的な空間にいる、というような。だから、むしろ飛行機のアナウンスを聞くのも、気分が出るって感じ?
電車の車掌さん、すみません、勝手で。
でもそういう感覚、ないですかね。例えば、国際線の機内食なんて、典型的だと思うんですよ。飛行機の狭い座席に座った状態で、小さなトレイに乗った食べ物をね、こう、ちまちまとせせこましい動作で食べるって、客観的には絶対不自由なはずですよね。純粋に食事として見た場合にも、決して特段おいしいものではない。でも、あれが、いかにも、ああ、やっと休みがとれて、海外旅行に出てこられたんだ、という気分を盛り上げてくれる演出効果があるじゃないですか。
話はおおげさになりましたが、飛行機のアナウンスと電車のそれとの感覚的な違いは、やはりあるように思いました。

あともう一つ。
前記の、アナウンス直後の座席での携帯電話通話に、「ほら、ああいう奴はアナウンスしても聞かないんだから、意味ないんだって」とか思っていた私。
水戸に到着する直前に、自分の携帯電話が鳴ったので、あわててとって、座席で通話してしまいました(爆)。
すみません、人のことは言えませんでした。