おりにふれ、ウォークマンでも聴いているのだが、アンダーソンの作品の中に、「セレナータ」という曲がある。
この曲、ちょっと私にとっては、何とも言いがたいところがあるのだ。
たとえば、「舞踏会の美女」や「フィドル・ファドル」などのように、波長がぴったり、好きでたまらない、というのではない。
何かせつないのだ。
特に、中間部のメロディ。
せつない。
そして、何だかわからないのだが、懐かしい。
理由はまったくわからない。
しかし、「セレナータ」を聴いていると、自分の子供の頃、小学校に上がる前くらいの時期を、何故か思い出すのだ。
理由はまったくわからない。
でも、「セレナータ」には、私の心の中の何かにふれるものがある。
懐かしい。
そしてせつないのだ。
そしてせつないのだ。
時に、この曲だけは、アンダーソンの中でも、聴きたくないと思うこともあるくらいだ。
でも、聴いてしまう。
でも、聴いてしまう。
そして、何か心の中をかきむしられるような思いになったりするのだ。
何故なんだろう。
わからない。
大好き、ではない。
でも、聴かずにいられない。
でも、聴かずにいられない。
私の中では、とても不思議で特別なポジションにある音楽だ。