naokichiオムニバス

68歳、ヴィオラ弾き。ビール大好き。毎日元気。

何かせつない「セレナータ」

ルロイ・アンダーソンの音楽を偏愛している。
  ※関連の過去記事
     http://blogs.yahoo.co.jp/naokichivla/49237649.html

おりにふれ、ウォークマンでも聴いているのだが、アンダーソンの作品の中に、「セレナータ」という曲がある。

この曲、ちょっと私にとっては、何とも言いがたいところがあるのだ。

たとえば、「舞踏会の美女」や「フィドル・ファドル」などのように、波長がぴったり、好きでたまらない、というのではない。

この「セレナータ」は、他のアンダーソン作品同様、非常にアメリカ的なキャラクターがある。
ただ、珍しく短調で書かれていることで、私には、他の作品とはずいぶん肌合いが違って感じられる。

何かせつないのだ。

特に、中間部のメロディ。

せつない。

そして、何だかわからないのだが、懐かしい。

理由はまったくわからない。

しかし、「セレナータ」を聴いていると、自分の子供の頃、小学校に上がる前くらいの時期を、何故か思い出すのだ。

あの頃、私の周囲に、アンダーソンの音楽が流れていたわけではない。
うっすらとした記憶だが、何か類似の、アメリカのポップスか何かを、家の中で母がつけていたラジオででも、聴いていたのだろうか。

理由はまったくわからない。

でも、「セレナータ」には、私の心の中の何かにふれるものがある。

懐かしい。
そしてせつないのだ。

時に、この曲だけは、アンダーソンの中でも、聴きたくないと思うこともあるくらいだ。
でも、聴いてしまう。

そして、何か心の中をかきむしられるような思いになったりするのだ。

何故なんだろう。

わからない。

大好き、ではない。
でも、聴かずにいられない。

私の中では、とても不思議で特別なポジションにある音楽だ。

モーリス・アブラヴァネル指揮のオケ版。
そして、最近では、浦安で弦トレーナーをお願いしている、N響のY先生の「アンサンブル・クラルテ」のCDにも、室内楽編成で入っているので、それも聴いている。