ショップでストラップ買いました。
23日(金)、大宮への出張から東京に戻り、サントリーホールへ。
●東京フィルハーモニー交響楽団第789回サントリー定期シリーズ
日 時 2010年7月23日(木) 19:00開演
会 場 サントリーホール
指 揮 ミシェル・プラッソン
メゾ・ソプラノ 加納悦子
曲 目 ベルリオーズ 序曲「ローマの謝肉祭
ベルリオーズ 歌曲集「夏の夜」
ベルリオーズ 幻想交響曲
[アンコール]ビゼー 「アルルの女」第1組曲からアダージェット
日 時 2010年7月23日(木) 19:00開演
会 場 サントリーホール
指 揮 ミシェル・プラッソン
メゾ・ソプラノ 加納悦子
曲 目 ベルリオーズ 序曲「ローマの謝肉祭
ベルリオーズ 歌曲集「夏の夜」
ベルリオーズ 幻想交響曲
[アンコール]ビゼー 「アルルの女」第1組曲からアダージェット
2階C5列32番に座ると、香水のすごくきつい匂いが。前の席の女性だ。これはつらい。
(で、休憩後、その匂いにもやっと慣れたと思ったら、今度はその女性、明らかに飽きた(笑)様子で、何やらもぞもぞと落ち着かない動作。これにもまいったね)
(で、休憩後、その匂いにもやっと慣れたと思ったら、今度はその女性、明らかに飽きた(笑)様子で、何やらもぞもぞと落ち着かない動作。これにもまいったね)
序曲「ローマの謝肉祭」。全然力ずくにならない、どこか軽さのある演奏。
こういう音楽だったっけ、と思う。
こういう音楽だったっけ、と思う。
終曲を除いてはどの曲もゆったりとした音楽。
聴いていて、確かに「夜」を感じる気がする。でも、今の日本みたいな、「あぢぃ~~~」という熱帯夜とは、ちょっと違う雰囲気?
聴いていて、確かに「夜」を感じる気がする。でも、今の日本みたいな、「あぢぃ~~~」という熱帯夜とは、ちょっと違う雰囲気?
聴いていて、うっかり「今、何曲目だったっけ」(笑)とわからなくなってしまった。
(プログラム冊子に載った歌詞対訳を見て確認しようかと思ったが、最近はもう、演奏中の暗がりだと裸眼では文字が読めないのだ(笑))
でも、そんなことはまあいいや、心地よく聴いた。
(プログラム冊子に載った歌詞対訳を見て確認しようかと思ったが、最近はもう、演奏中の暗がりだと裸眼では文字が読めないのだ(笑))
でも、そんなことはまあいいや、心地よく聴いた。
「演奏会全体の緩徐楽章」といった趣きで、とてもよかった。
そして、お目当ての幻想交響曲。実演で聴くのはたぶん初めてでないと思うが、日頃実際に弾いているので、興味津々度は全然違う。
1楽章の冒頭でまずびっくり。何という繊細さ。
まさに、「夢」の雰囲気だ。
まさに、「夢」の雰囲気だ。
2楽章、ワルツも繊細で、そして粋。
一方、3楽章、37番からの主部は、弦楽合奏だけの部分だが、とても雄弁。
と言った具合で、ただただ驚くばかり。「ひえ~」の連続で、いちいち書いていたらきりがない。
ところで今回、ステージ上のオケを見ながら聴いていて気がついたことがある。
3楽章で69小節目から、ヴィオラがディヴィジになるところだ。
ここは、表がピツィカートでセカンドヴァイオリンと同じ音型をはじき、裏がアルコでチェロと同じメロディを弾く(画像)。
今回の東京フィルは、左から、ファースト、セカンド、チェロ、ヴィオラという配置。
(浦安オケは、ファースト、セカンド、ヴィオラ、チェロ)
見ながら聴いていて思ったのだが、たぶんベルリオーズは、ファースト、チェロ、ヴィオラ、セカンドという対向配置を前提に書いたのではないだろうか。
そうだとすれば、ヴィオラの表とセカンド、ヴィオラの裏とチェロが隣り合ってかたまった形で演奏されることになるのだ。
3楽章で69小節目から、ヴィオラがディヴィジになるところだ。
ここは、表がピツィカートでセカンドヴァイオリンと同じ音型をはじき、裏がアルコでチェロと同じメロディを弾く(画像)。
今回の東京フィルは、左から、ファースト、セカンド、チェロ、ヴィオラという配置。
(浦安オケは、ファースト、セカンド、ヴィオラ、チェロ)
見ながら聴いていて思ったのだが、たぶんベルリオーズは、ファースト、チェロ、ヴィオラ、セカンドという対向配置を前提に書いたのではないだろうか。
そうだとすれば、ヴィオラの表とセカンド、ヴィオラの裏とチェロが隣り合ってかたまった形で演奏されることになるのだ。
4楽章、5楽章も、うるさくならない。とげとげしくならない。
圧倒される思いで全曲を聴き終えたのだが、それは音量やパワーにではなかった。
強く印象に残ったのが、各楽章最後の和音の響き。
あの5楽章、盛り上がりの頂点で延ばされたCの和音!
Cの和音のきれいな響きが、ステージから客席に飛んできて、ホールの空間をしばし漂った後に、すーっと消えていった。
Cの和音のきれいな響きが、ステージから客席に飛んできて、ホールの空間をしばし漂った後に、すーっと消えていった。
おそらく、演奏中から、終わったら間髪入れずに叫んで拍手をしようと思っていた人は何人もいただろうが、演奏者の手を離れて空間を満たした和音の響きは、それを封じた。
すごいなあ、と思った。
我々のオケの今の練習状況だと、この5楽章の大詰めはまさに阿鼻叫喚、駅伝のランナーが倒れ込むかのように、最後の和音にたどりつく、という感じなのだが、プロオケって、最後の最後、あんなにきれいにシンプルなCの和音を鳴らすんだ、と圧倒された。
さて、我々の本番まであと4ヶ月を切っている(えーっ、もう?)。
我々は一体この難曲を、どこまでできるのだろうか、とつくづく思った。
我々は一体この難曲を、どこまでできるのだろうか、とつくづく思った。