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68歳、ヴィオラ弾き。ビール大好き。毎日元気。

読響アンサンブル・シリーズ ピアノを迎えて-河村尚子の<ます>

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●読響アンサンブル・シリーズ vol.4 ピアノを迎えて-河村尚子の<ます>

日 時 2015年3月20日(金) 18:30開場 19:00開演
会 場 よみうり大手町ホール
曲 目 シューマン アダージョアレグロ変イ長調
     シューマン 幻想小曲集
     ベートーヴェン ヴァイオリン・ソナタ第5番ヘ長調「春」
     シューベルト ピアノ五重奏曲イ長調「ます」
     [アンコール] シューベルト 「ロザムンデ」間奏曲
ピアノ 河村 尚子
ヴァイオリン 滝村 依里
ヴィオラ 鈴木 康浩
チェロ 渡部 玄一
コントラバス 石川 浩之

以前、演奏会場でもらったチラシで知り、チケットを買い求めた演奏会。
よみうり大手町ホールには、初めて行った。
3列3・4番。

弦の奏者は、読売日本交響楽団のメンバーだ。

シューマンの2曲は、ヴィオラとピアノの二重奏。

1曲目の「アダージョアレグロ」は、おそらく客席の誰もが、日頃裸では聴かない、ヴィオラという楽器の音の美しさを感じたことだろう。

「幻想小曲集」の方が、高い音域を使い、技巧的にも華やかな曲だ。

それにしても、シューマンという作曲家の魅力を改めて感じた。
同じロマン派の作曲家で、ピアノの傑作をたくさん書いた、シューベルトショパンの音楽は、シューマンに比べると、きっちりした秩序があるというか、紳士的なイメージで思い出される。

シューマンの音楽のファンタジーは、独特のものであり、感情の幅がとても大きいように感じる。

シューマン室内楽は、つい先日、ジャン・ユボーヴィオア・ノヴァ四重奏団他の全集を買い求めていたので、近い内にまとめて聴いてみたい。

弦奏者がヴァイオリンに交代しての次のベートーヴェンは、シューマンの後に聴くと、はるかに構築的な音楽だと痛感する。

とは言え、2楽章は、相当にロマンティックな音楽だし、3楽章のリズムも、一筋縄ではいかないものがある。

そして、1楽章、4楽章のメロディ。日頃のベートーヴェンには似つかわしくない、メロディメーカーぶりだ。

ハイドンモーツァルトの延長にあって、ベートーヴェンが大いに革新的なことをやったのが、よくわかる。

1楽章の再現部がヴァイオリンでなくピアノであることを始め、ピツィカートの使い方、転調の仕方、変奏の書き方など、「型通りのものは書かない」という、ベートーヴェンの意思が、随所に感じられる曲だ。

休憩の後は、「ます」。

この曲は、大学4年生になる前の春休みだったと思うが、岩井で行われた大学オケの合宿の時に、誰かが楽譜を持ってきていて、全曲合わせたことがあった。
もう40年近く前の、後にも先にもただ一度きりのことだったが、ヴィオラの音符は結構おぼえている。
この日も、聴いていて、4楽章の変奏の、ヴィオラがメロディを受け持つ部分を始めとして、ああそう、こういうフレーズを弾いたんだった、と思ったものだった。

それはさておき、この「ます」という曲、室内楽ではあるが、求心的な音楽では全然ないな、と改めて思った。

編成上、セカンド・ヴァイオリンがない、つまり、通常の弦楽四重奏で言う内声部がないこと。一方、低音は、チェロとコントラバスがいることで、チェロの役割が変わること(ヴィオラとチェロが内声部的になることもある)。
ピアノとヴァイオリンが、技巧的で華やかに書かれていることもあり、同じ室内楽でも、どちらかというと、ピアノ・トリオの編成から生まれる音楽に近いところがあるように思う。

「全体が一つに融け合う」ことを目指す音楽でなく、かと言って、個々の奏者が極度に自己主張するのでもなく、場面場面で存在感を示しながら、2人あるいは3人での連携を、変幻自在に繰り広げていく、そんな魅力を持つ音楽だと思った。

転調の妙は、「未完成」同様、シューベルトならではの魅力。

とにかく、「ます」って、いい曲だな、とつくづく思った。

5人の奏者が、とても楽しそうに演奏していたのも印象に残った。
そして、ヴィオラが「全然おとなしくないヴィオラ」だったことも。こういうヴィオラも、ありですね。

アンコールには、「ます」と同じ編成で、「ロザムンデ」の間奏曲が演奏された。

いい演奏会を聴いた、という実感の残る演奏会だった。

帰りに、新丸ビルの、自由ヶ丘グリルという店に寄った。

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※関連の過去記事
    梯剛之の「鱒」演奏会
       http://blogs.yahoo.co.jp/naokichivla/52024562.html