指揮が、毎年9月にマウントあさま室内合奏団のワークショップ、あるいは浦安オケでお世話になっている横島勝人先生。
横島先生の指揮するイベントということで、マウントあさまの事務局から呼びかけがあり、参加した。
フラッシュモブ、というのは、不勉強にして知らなかったが、「インターネットや口コミで呼びかけを受けた不特定多数の人が、公共の場に集まって、通りすがりの通行人を装って、前触れなくパフォーマンスを行い、解散すること」を言うのだそうだ。
主催は、「国境なき子どもたち」というNPOと「国境なき合唱団」。
さて、25日、本番当日、楽器と楽譜、譜面台を持って会社を出て、日比谷線に乗って六本木に向かった。オケメンバーの集合は、18:30。
六本木には、日頃めったに行かないし、ましてクリスマスを六本木で過ごすなんて、生まれて初めてではなかろうか(笑)。
ここが六本木ヒルズかあ。さすがにクリスマスの夜。大変なにぎわいだ。
演奏する場所は、六本木ヒルズアリーナというところ。何しろ不案内なので、案内表示を見ながらおろおろとさがす。
きっと、あそこだな。
けやき坂のイルミネーション。東京タワーが見える。
受付のテントらしきものがあったので、そこで聞くと、オケのメンバーが集まる部屋に案内してくれた。
中に入ると、横島先生がおられ、浦安オケの団員、それからマウントあさまのメンバーも何人か集まっていた。
横島先生から、本番の段取りについて説明。
19:40が本番開始。まず、弦楽五重奏の形で、「第九」4楽章の練習記号A(歓喜の主題をファーストヴァイオリンが弾く部分)を演奏し始める。
この部分は繰り返し演奏するので、他のオケメンバーは五重奏を取り囲むような形で、順次舞台に出る。
この部分は繰り返し演奏するので、他のオケメンバーは五重奏を取り囲むような形で、順次舞台に出る。
以後、Bのオケトゥッティに進み、202小節目までを演奏。
その後、練習記号M8小節前から、合唱とともに594小節目まで。
そして、843小節目(ソリストのカデンツァが終わったところ)から、曲尾までを演奏して終わる。
その後、練習記号M8小節前から、合唱とともに594小節目まで。
そして、843小節目(ソリストのカデンツァが終わったところ)から、曲尾までを演奏して終わる。
10分程度の抜粋だ。
説明が終わると、一旦解散。
練習はなし。一発本番だ。
練習はなし。一発本番だ。
今回、浦安オケ、マウントあさま他から臨時編成された「六本木フラッシュモブオーケストラ」は、84人が集まったとのこと。
解散後は、ステージ脇に設置された3つのテントの中で待機。
楽器や楽譜を準備して、ステージ上手側で待つ。
楽器や楽譜を準備して、ステージ上手側で待つ。
やがて、コンマスがチューニングのAを配りに来てくれて、開演も間近となった。
定刻の19:40となり、まず、五重奏のメンバーがステージへ。
コートをはおった横島先生の指揮で、五重奏が始まった。
係の人の合図の声で、我々も舞台へ。
マウントあさまは、舞台後方、五重奏の後ろ側に、浦安オケは、舞台下、下手側に位置すると聞いていた。
どっちに行こうか、と思っていたが、押し出されるように舞台に出て、何となく、マウントあさまのグループに混じって立つことになった。
マウントあさまは、舞台後方、五重奏の後ろ側に、浦安オケは、舞台下、下手側に位置すると聞いていた。
どっちに行こうか、と思っていたが、押し出されるように舞台に出て、何となく、マウントあさまのグループに混じって立つことになった。
演奏に合流。
Mからのコーラスは、「国境なき合唱団」と、JALグループ合唱団「フロイデ」他の皆さん。
最初は、ステージ前の客席に座っており、ここから立ち上がって歌ったが、ステージにいると、コーラスはあまりよく聞こえてこなかった。
最初は、ステージ前の客席に座っており、ここから立ち上がって歌ったが、ステージにいると、コーラスはあまりよく聞こえてこなかった。
10分の抜粋演奏は、本当に、本当にあっという間だった。
ステージまわりから、盛んな拍手。我々も、弓を高く掲げて振って応えた。
もう終わっちゃったんだ、という感じで、「もう1回やりませんか」と言いたかった。
しかし、そのまま解散。
オケの有志は、楽器をしまったら、打ち上げへ。
幹事Mちゃんの誘導で、六本木交差点の近くにある、餃子の「珉珉」へ行った。
幹事Mちゃんの誘導で、六本木交差点の近くにある、餃子の「珉珉」へ行った。
打ち上げ参加は、20人くらいだっただろうか。横島先生も参加された。
今日が誕生日という、マウントあさまフルートのOさんに花束。
浦安のオケ仲間や、久しぶりに会うマウントあさまのメンバーと、餃子を始めあれこれ食べ、ビールや紹興酒を飲んで、語り合う内に、夜は楽しく更けて行った。
22:45頃、店を出た。二次会に行くメンバーも多いようだったが、私は遠慮してそのまま帰った。